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TORENDIA

維新史の資料に就て

本文約4,500字 ・ 読了時間 約9分

あらすじ(AIが作成しました)

維新史料編纂局の史料蒐集や編纂方針を論じる。歴史は革命勝利者の記録に偏りやすく、維新史もまた薩長側の視点に偏っていると指摘する。編纂局の組織や活動の不透明さを批判し、公平な歴史叙述のためには、幕府側や反薩長派の立場から書かれた史料や、秘蔵されている皇室の宸翰など、敗者側の材料を等しく蒐集し公開する重要性を説く。歴史の真相を明らかにすることは神聖な仕事であり、一時の順逆論に囚われず客観的な姿勢を求める。

内藤湖南

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🎧 維新史の資料に就て / 朗読音声: VOICEVOX:玄野武宏

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いづれの世でも革命の際は必ず陰謀がこれに伴ふ。從つてこれに關する記録も多くは當時の陰謀から出た結果の記録であつて信用し難いものであることは、古來屡見る所である。然し或時期を經過すると其時の陰謀に與かつた人々の多くは亡くなり、自然に觀察が公平になるのと、從來の記録に反對の材料を發見して史實を一變することがある。どうかすると支那等の樣な國では朝代の替り目のみならず、同じ朝代の間にあつても陰謀簒奪などの行はれた後では、時として右の順序を繰返すことがある。

例へば明の永樂帝が建文帝の位を奪つた所謂靖難の役に就いては、明の實録は建文一朝を認めないで、前代の洪武の年號を延ばして書いて居つて、これを革除と稱して居る。然るに永樂帝の曾孫か玄孫の代くらゐになつて、建文帝が靖難の役に死なゝいで僧侶になつて逃れたのが現れて來た。それを終りには明の宮中に呼びかへして僧體の儘で一生を安らかに送らしめたといふ話があつて、當時の信用すべき歴史家も其事を明かに認めてゐる。清朝で明史を作つた時は其説を採らないで、建文帝は靖難の役に死んだものと極めたのであるが、明代では一般にさうは信じなかつた。

それはどちらが事實だか判らないとしても、兎も角著しい事變の後にはいろ/\な歴史上の疑問が生じて、後に判斷に苦しむ樣な事が出來てくる。然しこれは多くは事變の鎭まつた時に、いろ/\陰謀等の跡を蔽はんが爲めに、勝利を占めた一方の材料だけを採つて記録とするから起る所の結果であつて、若し他の一方即ち敗者の材料を早く集めておくならば、曖昧な疑問が生ずるといふことが比較的少くなる。今日の如く歴史が一つの學問として考へられ、其の眞相を現すことが一つの神聖な仕事として考へられる時代にあつては、殊にこの用意が必要であつて、一時の順逆などゝいふ考へは、神聖な史實の前には極めて微力なものであると考へなければならぬ。

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