惜別
本文約91,700字 ・ 読了時間 約184分
あらすじ(AIが作成しました)
日本の東北地方で医師を営む老人が、かつて仙台医専で同級生だった周樹人との思い出を回想する。中国の文豪魯迅として知られるようになる前の若き日の周と、恩師藤野厳九郎との交流、そして彼らへの敬慕の念を、老人自身の視点から丁寧に描き出す。社会的背景に翻弄されず、かつての恩師と友人の純粋な面影を胸底に刻み、彼らとの交際を通じて抱いた東洋の道義や絆への思索を綴る物語である。
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これは日本の東北地方の某村に開業している一老医師の手記である。
先日、この地方の新聞社の記者だと称する不精鬚をはやした顔色のわるい中年の男がやって来て、あなたは今の東北帝大医学部の前身の仙台医専を卒業したお方と聞いているが、それに違いないか、と問う。そのとおりだ、と私は答えた。
「明治三十七年の入学ではなかったかしら。」と記者は、胸のポケットから小さい手帖を出しながら、せっかちに尋ねる。
「たしか、その頃と記憶しています。」私は、記者のへんに落ちつかない態度に不安を感じた。はっきり言えば、私にはこの新聞記者との対談が、終始あまり愉快でなかったのである。
「そいつあ、よかった。」記者は蒼黒い頬に薄笑いを浮かべて、「それじゃ、あなたは、たしかにこの人を知っている筈だ。」と呆れるくらいに強く、きめつけるような口調で言い、手帖をひらいて私の鼻先に突き出した。ひらかれたペエジには鉛筆で大きく、
周樹人
と書かれてある。
「存じて居ります。」
「そうだろう。」とその記者はいかにも得意そうに、「あなたとは同級生だったわけだ。そうして、その人が、のちに、中国の大文豪、魯迅となって出現したのです。」と言って、自身の少し興奮したみたいな口調にてれて顔をいくぶん赤くした。
「そういう事も存じて居りますが、でも、あの周さんが、のちにあんな有名なお方にならなくても、ただ私たちと一緒に仙台で学び遊んでいた頃の周さんだけでも、私は尊敬して居ります。」
「へえ。」と記者は眼を丸くして驚いたようなふうをして、「若い頃から、そんなに偉かったのかねえ。やはり、天才的とでもいったような。」
「いいえ、そんな工合ではなくて、ありふれた言い方ですが、それこそ素直な、本当に、いい人でございました。」