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TORENDIA

多頭蛇哲学

本文約2,000字 ・ 読了時間 約4分

あらすじ(AIが作成しました)

ゲシュタルト心理学や全体主義という概念が台頭する中、既存の思想体系では対応しきれない状況を描く。言葉による認識論の限界や、全体主義を説明する困難さという難関を指摘し、象徴を用いた認識への可能性を考察する。自身の思想体系を必要とする知識人に向けて、マルキシズムに代わる新たな哲学の体系化と、それに伴う知識人たちの再学習の必要性を論じる論考。自身の講義が未完成であることを自覚しつつ、新しい世界観のあり方を問う。

太宰治

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🎧 多頭蛇哲学 / 朗読音声: VOICEVOX:春日部つむぎ

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事態がたいへん複雑になっている。ゲシュタルト心理学が持ち出され、全体主義という合言葉も生れて、新しい世界観が、そろそろ登場の身仕度を始めた。

古いノオトだけでは、間に合わなくなって来た。文化のガイドたちは、またまた図書館通いを始めなければなるまい。まじめに。

全体主義哲学の認識論に於いて、すぐさま突き当る難関は、その認識確証の様式であろう。何に依って表示するか。言葉か。永遠にパンセは言葉にたよる他、仕方ないものなのか。音はどうか。アクセントはどうか。色彩はどうか。模様はどうか。身振りはどうか。顔の表情では、いけないか。眼の動きにのみたよるという法はどうか。採用可能の要素がないか。しらべて呉れ。

いけないか。一つ一つ入念にしらべてみたか。いや、いちいちその研究発表を、いま、ここで、せずともよい。いずれ、大論文にちがいない。そうして、やっぱり、言葉でなければいけないか。音ではだめか。アクセントでは、だめか。色彩では、だめか。みんな、だめか。言葉にたよる他、全体認識の確証を示すことができないのか。言葉より他になかったとしたなら、この全体主義哲学は、その認識論に於いて、たいへん苦労をしなければなるまい。だいいち、全体主義そのものを、どんな様式で説明したらいちばんよいか。やはり、いままでの思想体系の説明と同じように、煩瑣をいとわず逐条説明とするか。それでは、せっかくのゲシュタルトも、なんにもなるまい。案外、こんなところに全体主義の困惑があるのではないか。

さあ、なんと言っていいか。わからないかねえ。あれなんだがねえ。あれだよ。わからないかねえ。なんといっていいのか。ちょっと僕にも、などと、ひとりで弱っている姿を見ると、聞き手のほうでも、いい加減じれったくなって来る。近衛公が議会で、日本主義というのは、なんですか? と問われて、さあ、それは、一口でこうと説明は、どうも、その、と大いに弱っていたようであったが、むりもないことと思った。

象徴で行け。象徴で。

そうなったら面白い。

「日本主義とはなんでありますか?」

「柿です。」この柿には意味がない。

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