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TORENDIA

一連の非プロレタリア的作品

本文約15,100字 ・ 読了時間 約31分

あらすじ(AIが作成しました)

作家同盟の講習会で藤森成吉の「亀のチャーリー」が議論される。本書は移民労働者の中野が、生活の苦しさを抱えつつ現地の子供らをピオニイルへ組織する様子を描く。これに対し論者は、中野がプロレタリア大衆から孤立しており、組織化の過程も機械的で非現実的であると批判する。本稿は、プロレタリア文学において作家の組織活動と創作活動は不可分であり、強固な党派性に基づいた現実把握こそが作品の質を決定すると論じる。

附・創作活動と組織活動との統一の問題にふれて

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十月下旬行われた作家同盟主催の文学講習会のある夜、席上でたまたま「亀のチャーリー」が討論の中心となった。ある講習会員が「亀のチャーリー」をとりあげ、その作品は一般読者の間で評判がよく親しみをもって読まれたから、ああいう肩のこらない作品の型もプロレタリア文学の中にあってよいのではないかという風に問題をおこし、プロレタリア文学のジャンルの問題に連関させていた。

その晩、自分は最後の時間をうけもっていたのでおそく出席し、そもそもその講習会員がどんな発端からそういう話をはじめたのかわからず、鹿地亘が意見を述べるのを聞いていた。「亀のチャーリー」について問題とすべきはプロレタリア文学としての創作方法の問題であって、ジャンルの問題ではないということが説明されていた。自分はそのとき「亀のチャーリー」をよんでいなかった。帰って注意ぶかく読んだが、はたして「亀のチャーリー」はプロレタリア文学の中にあってもよいという種類の肩のこらぬ作品であったろうか?

藤森成吉が『改造』九月号に発表した小説「亀のチャーリー」は、三十年もアメリカに移民労働者として辛苦の生活をしている動物と子供のすきな日本人中野が、市場で亀をひろって育てたことから亀のチャーリーとあだ名され、アメリカの子供の人気を博しつつ、日本の切手や菓子その他を宣伝用具として子供らを教育し、ピオニイルに仕立ててゆく。亀のチャーリーは相もかわらず貧乏で冬じゅう何も食わぬ二匹の亀の子とボロ靴下を乾したニューヨークの小部屋では五セントの鱈の頭を食って暮しているがピオニイルはゾクゾク殖えてゆくという物語を、五章からなるエピソード的構成で書いているのである。

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