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TORENDIA

月の東京湾

本文約1,600字 ・ 読了時間 約4分

あらすじ(AIが作成しました)

三崎から日本橋へ向かう汽船に乗り合わせた男が、七月の夜、東京湾で過ごす旅情を綴る。炎熱を避けて甲板に出た男は、十五夜の明月と清風を楽しみながら、浦賀や下浦に寄航する中で乗り込んできた多様な乗客たちの様子を観察する。塩煎餅を差し出す女や、親しげに語り合う男女などの人間模様を眺めつつ、静かな海の上で夜を明かし、やがて曙を迎える船上の涼味と快味に満ちた一夜を描く。

大町桂月

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🎧 月の東京湾 / 朗読音声: VOICEVOX:雨晴はう

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明日は日本橋の魚市に上るらむ、魚類の運搬を主として、旅客を副とせる汽船の、三崎より來りて、松輪に寄航するを待ち合せて、艀より直ちに甲板に上る。夜の十時頃也。

船室の中には、七八人、みな横臥して、また餘地なし。室外に蓙を敷かせて坐る。七月の末つ方、陸上の人は炎熱に堪へざらむ。こゝは漫々たる蒼波、見るからに心地よく、清風陣々として、凉氣船に溢る。一天霽れ盡して、十五夜の明月高く懸る。裸男獨り甲板の上に、この清風明月を占む。相州の武山や、房州の富山や、鋸山や、送る劍ヶ崎や、迎ふる觀音崎や、一種の友の心地して、煙草を吹けば、興味更に加はる。なほ慾張りて酒あらばとは、我ながら凡夫の身なる哉。

下浦に寄航しけるに、二三人の乘客あり。其中、一人の青年、來りて裸男と蓙を分つ。浦賀に寄航したる時には、乘客多し。米國海軍提督ペルリの始めて所謂黒船を寄せたりけむ、そゞろに嘉永の昔を思ふ。裸男の蓙に、二人づれの男と二人づれの女と、幾んど同時に來りしが、男の方はすばやく坐り込む。女の方は腰だけを蓙の上に卸してしやがむ。側に今一枚だけ蓙を敷く餘地あり。裸男ボーイを呼びて、蓙を持ち來らしむ。ボーイ蓙を敷くより早く、二人づれの男周章てゝ之に移りて、直ちに横になる。女代りて漸く坐ることを得たり。禮のつもりにや、一人の女、袂より鹽煎餅二枚を取りて、裸男に呉れむとす。之を辭すれば、『毒は入り居らず』とて、別に一枚袂より取り出して食ふ。手にせる煎餅を引込めさうにもせず。止むを得ず、受取りて袂に入る。

晝を欺くばかりの月夜なれども、頭上にズツクの假屋根あるを以て、居まはりは薄暗くして、女の顏はさだかならざるが、いづれも上方の語音を帶びたり。一人は五十ぐらゐにて痩せたり。一人は三十五六にて、太れり。其腰殊に大也。裸男に煎餅を呉れたるは、その肥れる女にて、『風が凉しいの、月が好いの』と、頻に話しかくれど、裸男は唯うん/\とのみ答へぬ。

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