躯
本文約6,800字 ・ 読了時間 約14分
あらすじ(AIが作成しました)
植木屋の吉兵衛は、ある晩、茶の間の主夫婦を前にして、二十三歳で亡くなった息子・晴二郎の追憶を語る。晴二郎は、軍の動員令を巡り河へ身を投げた秋山大尉を捜索する任務に選ばれた兵士であった。水練に秀でていた晴二郎は、大尉の遺体を発見するものの、水中で抱きつかれ共に帰らぬ人となる。吉兵衛は、息子の死後も大尉の親族から弔いを受けるなど、その悼ましい出来事を抱えて、現在も娘を育てながら懸命に生きている。
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四五日前に、善く人にじゃれつく可愛い犬ころを一匹くれて行った田町の吉兵衛と云う爺さんが、今夜もその犬の懐き具合を見に来たらしい。疳癪の強そうな縁の爛れ気味な赤い目をぱちぱち屡瞬きながら、獣の皮のように硬張った手で時々目脂を拭いて、茶の間の端に坐っていた。長いあいだ色々の労働で鍛えて来たその躯は、小いなりに精悍らしく見えた。
上さんが気を利かして、金を少し許り紙に包んで、「お爺さん少しだけれど、一杯飲んで下さいよ」と、そこへ差出すと、爺さんは一度辞退してから、戴いて腹掛へ仕舞いこんだ。
「お爺さんはいつも元気すね。」
「なに、もう駄目でさ。今日もこの歯が一本ぐらぐらになってね、棕櫚縄を咬えるもんだから、稼業だから為方がないようなもんだけれど……。」
爺さんは植木屋の頭に使われて、其処此処の庭の手入れをしたり垣根を結えたりするのが仕事なのだ。それでも家には小金の貯えも少しはあって、十六七の娘に三味線を仕込などしている。遊芸をみっちり仕込んだ嫖致の好い姉娘は、芝居茶屋に奉公しているうちに、金さんと云う越後産の魚屋と一緒になって、小楽に暮しているが、爺さんの方へは今は余り寄りつかないようにしている。
「私も花をあんなものにくれておくのは惜しいでやすよ。多度でもないけれど、商売の資本まで卸してやったからね」と爺さんは時々その娘のことでこぼしていた。
「お爺さんなんざ、もう楽をしても好いんですがね。」
上さんはお茶を汲んで出しながら、話の多い爺さんから、何か引出そうとするらしかった。子供はもう皆な奥で寝てしまって、二つになる末の子だけが、母親の乳房に吸いついた。勤め人の主は、晩酌の酔がまださめず、火鉢の側に胡座をかいて、にやにやしていた。
「どうして未だなかなか。」
「七十幾歳ですって?」