TRENDIA CLASSIC

貧乏一期、二期、三期

直木三十五

1 / 6

第一期

僕は、僕の母の胎内にゐるとき、お臍の穴から、僕の生れる家の中を、覗いてみて、

「こいつは、いけねえ」

と、思つた。頭の禿げかゝつた親爺と、それに相当した婆とが、薄暗くつて、小汚く、恐ろしく小さい家の中に、坐つてゐるのである。だが、神様から、こゝへ生れて出ろと、云はれたのだから、

「仕方がねえや」

と、覚悟をしたが、その時から、貧乏には慣れてゐる。

僕の母親は東京にゐるが、父は、大阪にゐる。何んと云つても出て来ない。物好きな読者があるなら、僕の父の家を見に行くといゝ。さう、矢鱈に存在してゐる家ではない。大阪南区内安堂寺町二丁目、交番を西へ行つて、茶商と、おもち屋との間の露次を入ると、井戸のすぐ脇にあるのが、それである。二畳の玄関――それから、二畳半の奥座敷。それつきりである。

いくら金持でも、物好きでも、合せて四畳半しか無い家には、余り住むことを欲しないものである。父は今年八十二歳になるが、五十年間、古着屋をして、かういふ家にゐたのである。

だから、僕は、貧乏に慣れてゐて、貧乏の苦しさといふものを知らない。母親が、僕が、いくつの齢だつたらう――鶏卵を見せて、

「宗一、これが卵やで、御飯へかけて上げるから、たんと食べて、身体を丈夫にせんといかんで」

と云つて、熱い飯に、卵をかけてくれた。それから、間食をした記憶が無い。可成り大きくなつてから、八の日に立つ縁日に行く時二銭もらつた記憶がある。そして、何を買はうかと、縁日中さがして歩いて、何も買へないでとうとう戻つてきた。十二三からは、父の後方について、質屋だの、古着市へ行つて、父と二人で古着を背負つて戻つてきた。中学へ行くやうになると、毎日、油揚げの菜ばかりなので、

「湯葉が、たべたいな」

と、いふと、母が、湯葉の屑を、風呂敷に一杯買つてきてくれた。僕の弟も、この湯葉屑の弁当を、随分持たされたらしく見受けるが、僕のせゐであらう。その時分から、十歳年齢の下の弟が生れたので、これを背負つて、夕方、母の代りに、本町から骨屋町へ、惣菜を買ひに行つた。

直木三十五の他の作品