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TORENDIA

巌流島

本文約7,300字 ・ 読了時間 約15分

あらすじ(AIが作成しました)

越前の剣豪富田勢源に学び、「岩流」を編み出した俊才佐々木小次郎は、豊前小倉の細川家で師範役となる。一方、新免無二斎の子であり二天一流を創始した宮本武蔵は、小次郎との対決を熱望し、慶長十七年四月十三日に船島で立合を行う。得物の長さと精神の駆け引きが勝敗の鍵を握る中、武蔵は一瞬の差で勝利を収める。兵法における極意や、武人としての生死を超越した境地を描く。

直木三十五

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一

「天真正伝神道流」の流祖、飯篠長威斎家直が当時東国第一の兵法者とされているのに対して、富田勢源が西に対立して双び称されて居たものである。中条流より出た父九郎右衛門の跡を継ぎ名を五郎左衛門、入道してのちに勢源、自ら富田流の一派を樹てて無双の名人とされて居た。越前の国宇阪の荘、一乗浄教村の住人である。

飯篠家直の門下からは、弘流の井鳥為信、一羽流の諸岡一羽、本心刀流の妻方謙寿斎、神道一心流の櫛淵宣根、有馬流の有馬頼信、新陰流の上泉伊勢守の如き剣豪が出て居るし、富田流から一放流の富田一放、長谷川流の長谷川宗喜、無海流の無一坊海園、鐘捲流の鐘捲自斎などの俊才が出たが中でも鐘捲自斎が傑れていたらしく、門人に伊藤一刀斎景久が出て徳川中世の武道を風靡した一刀流の源を造っている。この間にあって佐々木小次郎も富田門に学んで、自ら師より許されて岩流の一派を開いたその俊才の一人であったが、「岩流」を開く事を許されたのが十六歳というからその天才的な練達、武蔵に討たれなかったら鐘捲自斎以上であったにちがいない。

勢源という人は小太刀の名人であった。眼を病んで入道になってからいよいよ小太刀を研究して好んで一尺三寸の得物を使った。永禄三年五月、美濃の国の国主、斎藤義竜の乞によって飯篠門下の梅津某を一撃の下に倒した時などは、薪の一尺二三寸のものに手許へ革をまいただけの得物であった。佐々木小次郎は同国越前の産、幼少の頃から勢源に就いて学んだが、好んで大太刀を使ったと伝えられて居る。

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