戦慄の日は近づく
――昭和×年三月、帝都郊外の若きサラリーマンの家庭――
「まあ、今日はお帰りが遅かったのネ」
「うんフラフラになる程疲労れちまったよ」
「やはり会社の御用でしたの」
「そうなんだ。会社は東京の電灯を点けたり、電車を動かしたりしているだろう。だから若し東京が空襲されたときの用心に、軍部の方々と寄り合って、いろいろと打合わせをしたんだよ」
「空襲ですって! 空襲って、敵の飛行機のやってくることですか」
「うん」
「まあ、そんなことを、今からもう考えて置くんですの。気が早いわねエ」
「気が早かないよ。すこし遅い位いなんだ。尤も相談は前々からやってある。『東京非常変災要務規定』などいうものが、もう三年も前に、東京警備司令部、東京憲兵隊、東京市役所、東京府庁、警視庁の協議できまっているんだからね。今やっているのは、その後いろいろ変更になった事についてなんだよ」
「あら、そうだったの。それは東京だけに、空襲の相談が出来ているのですか。大阪だの九州だのはどうなんです」
「そりゃ、どこもかしこも、日本中はみな出来ているよ。防空演習なんか、むしろ地方が盛んで、東京なんか、まだ一度もやらないぐらいなんだ。どうかと思うよ」
「そんなことないわ。先達て、浅草でやったじゃないの」
「大東京全部として、やったことはない。しかしいよいよ近々、やるそうだが、きわどいところで役に立つんだ」
「きわどいところでなんて、本当に東京は空襲されるの」
「そりゃ、当りまえだよ」
「嘘おっしゃい。飛行機もうんとあるし、それにこんな離れた島国へなんぞ、どうしてそう簡単に攻めて来られるものですか」
「ところが、そうじゃないんだよ。来るに決っているんだから、もう覚悟をしときなさい。第一、今日会った軍部の方がそうおっしゃるのだから、間違いはないよ。東京は必ず空襲されるに決っているトサ」
「いやーネ。それじゃ、陸海軍の航空隊も、高射砲も、なんにもならないんですの」
「なることはなるけれど、陸戦や海戦と違って、敵を一歩も入らせないなどという完全な防禦は、空中戦では出来ない相談なんだ」
「どうして?」