非常警戒
凍りつくような空っ風が、鋪道の上をひゅーんというような唸り声をあげて滑ってゆく。もう夜はいたく更けていた。遠くに中華そばやの流してゆく笛の音が聞える。
丁度そのころ、築地本願寺裏から明石町にかけて、厳重な非常警戒網が布かれた。
しかし制服の警官はたった二人だけ、あとはみな私服の刑事ばかりが十四、五人。寝鎮った家の軒端や、締め忘れた露次に身をひそめて、掘割ぞいの鋪道に注意力をあつめていた。
一体なにごとが始まるのだろうか。
「おい、来たぞ」
「来たか。通行人はどうだろう」
「あっ、向うの屋上から青灯をたてに振っている。幸い通行人は一人もないというのだ」
「うむ、うまくいったな」
警官たちの顔つきは、緊張そのものであった。
誰がやって来たというのだろうか。
本願寺裏の掘割ぞいの鋪道の方へ、ふらふらと千鳥足の酔漢がとびこんで来た。
「うーい、いい気持だ。な、なにもいうことはねえや。天下泰平とおいでなすったね」
取りとめもない独白のあとは、鼻にかかる何やら音頭の歌い放し。
すると、その後からまた一人の男が、同じこの横丁にとびこんできた。
前の千鳥足の酔漢は、小ざっぱりしたもじり外套を羽織った粋な風体だが、後から出てきたのは、よれよれの半纏をひっかけた見窶しい身なりをしている。
大道も狭いと云わんばかりに蹣跚いてゆく酔漢の背後に、半纏着の男はつつと迫っていった。
「あっ、な、なにをする――」
と酔漢が愕きの声をあげるところを、半纏着の男は酔漢の襟がみつかんで、ずでんどうと鋪道になげとばした。
「うぬ、――」
と起きあがろうとするのを、半纏男は背後から馬乗りになって、何やら棒のようなものでぽかぽかと滅多うち。
ぐたりと伸びるところを、半纏男は足をもってずるずると堀ばたに引張ってゆき、足蹴にしてどーんと堀の中になげこんだ。
どぼーんと大きな水音が、闇を破って響きわたった。
ずいぶん乱暴な行為であった。
しかし警官隊は、林のように鎮まりかえっている。彼等にはこの暴行者がまるで映らないようであった。
なんという腑に落ちないこの場の光景であろうか。