小さい婦人たちの発言について
本文約3,100字 ・ 読了時間 約7分
あらすじ(AIが作成しました)
新制高校の少女たちが綴った原稿や生活記録を基に、十五歳から十八、九歳の「小さい婦人たち」が直面する社会への批評や自覚を論じる。戦争の影響を受けた上の世代とは異なり、共学の環境で能動的に学び合い、結婚や職業など旧い慣習に対して身をもって抗議する少女たちの姿を描き出す。社会的な存在として成長し、自らの人生の課題と向き合う彼女たちのエネルギーを通して、日本の民主化と次代へ向けた青春のあり方を考察する。
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春のなだれは、どんなふうにして起るだろう。暖かさが朝ごとにまして来る太陽にとかされてゆく積雪の表面からこれは起らない。冬の間じゅう降りつもって、かたく鋭く氷っていた根雪の底が春に近づく地殼のぬくもりにとけて、ある日、なだれとなる。
歴史は、どんな風に前進しているだろう。ふるい煤やごみでよごれた表面をもったなりで、しかし、その底の方では確実に新しいものが動きはじめている。夜も昼もと、おさえがたい成長をうながされつつ、――新制高校の若いひとびとの書いた原稿を一つ一つとよみながら、わたしは信頼とよろこびにみたされて、この事実を感じた。
原稿のなかには、丁度わたしが初めて日記というものをつけはじめたころの年齢のひとのものもあり、もとでいえば女学校の四年ぐらいになって、根のしまった知識慾と人生、社会についてのあこがれや、抗議にみたされている年頃のひとによってかかれたものもある。そのどれもが、それぞれに五年前の日本には表現されず、また存在もしなかった十五歳から十八、九歳までの少女から、ごく若い婦人たちとよばるべき年ごろのひとたちの世界をひらいて示している。同じ十五歳という年齢の内容に、何と精神や感覚の早咲、おそざきのちがいが、はげしいだろう。ちょっとみるとおどろくようなその相異にもかかわらず、十五歳の小さい婦人たちが、少女としてふれてゆく自身の社会環境に対してもちはじめている批評は、またそこに共通な本質にたっている。
十六歳。そして十七歳の女生徒たち。ここには、この年代のひとの姉たちがその年ごろで経た生活感情と非常にちがったものがあらわれている。たとえば共学を例にとっても。