女流作家として私は何を求むるか
本文約1,400字 ・ 読了時間 約3分
あらすじ(AIが作成しました)
女性芸術家が完成の域に達しにくい背景として、個性を重視しない教育の欠陥や、伝統的な道徳観に縛られることのもどかしさを論じる。女性特有の繊細な感受性を芸術として昇華させるため、自己を開拓する必要性を説く。過去の創作態度への反省から、真理のために真理を究める覚悟で、一切のこだわりを捨てた至純な芸術境の追求を目指す姿勢を綴る。議論ではなく、力そのものの表現として創作に向き合う決意を示す。
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なぜ女性の中から良い芸術家が生れないか、或いはそれが生れたにしてもなぜ完成の域にまで成長しないのか、その質疑に対して私は第一に女性教育の欠陥を挙げたいと思います。個性の上に温かいはぐくみを持たない今の教育は、綜合的な人間常識を授けるにとどまって、その人の持っている質の善悪にまで敷衍されていないからです。その点から一面、人間中心芸術中心の天才教育があってもよいと思います。
芸術家としての素質に就いて女性をどう観るかという事に就いては、私は女性にも十分に芸術家になり得る天分は賦与されていると思います。趣味の上から、その生活に湿いのある点から、或いはその環境が女性の上に及ぼす体験から、到底男性に持ち得ないと思われる何ものかを持っていると思います。それがなぜ力として芸術化されにくいか、或いはその創作が多くの場合、彼女は女であるという目安の上に置かれて批判され、価値づけられているか、この点に関しては、例えば「性」の問題を取扱うとして、つぎの如きもどかしさがその創作を裏切る。即ち「性の問題」を取扱う場合も、男はそれを彼の生活の一部として虚心に口にし、芸術化し得るのに対し、女性はそれをより以上に敏覚する素質を与えられていながら、彼女がその原始時代から伝統的に培われてきた道徳性は、この問題を直ぐに善悪の批判の上に結び付けたがります。一面男性よりも性的の徹底性を持ちながら、芸術家になり切れない道徳性の為めに、フッ切れない女性の力のはがゆさが痛切に感ぜられます。
これは僅かにその一二の例に過ぎないが、これらの点からも女性はもっともっと力強く自己を開拓する必要があると思います。