あとがき(『宮本百合子選集』第十巻)
本文約8,800字 ・ 読了時間 約18分
あらすじ(AIが作成しました)
一九三一年にソヴェトから帰国した著者が、文学活動の範囲を小説以外へと拡大し、評論的活動を始めた経緯を綴る。本書には、一九三一年から三六年までのプロレタリア文学運動期に執筆された評論を収める。執筆当時の政治的未熟さや運動内の論争を回顧し、作品批評の階級性や人間性を深めつつ、戦時下における言論弾圧の非道さと、民主主義文学運動における文学と政治の関係を、転向の問題や国際的主題を交えて論じる。
リクエストが集まると、作家に音声化の需要が伝わります。
💰 この本を応援する(投げ銭)
一九三〇年の暮にソヴェト同盟から帰って来て、翌年「ナップ」へ参加するまで、わたしは評論、紹介めいたものを書いたことがなかった。また、人の前に立って、文学についてそのほかの話をしたという経験もない。そして、それを自分の気質と思っていた。
ところが、この枠はまず思いがけない機会からモスクワで打ち破られ、段々わたしは自分の文学活動の範囲に、小説よりほかのものをうけ入れるようになって行った。わたしの場合、それはあきらかに作家としての社会性の拡大であり、また進歩的な文学者の良心的義務の一つであるという自覚であった。
一九三一年、一月号の『ナップ』に「五ヵ年計画とソヴェトの芸術」をかきはじめてから、わたしの評論的活動がはじまった。
選集第十巻に収められている文学評論は、一九三一年から三六年(昭和六年――十一年)ごろまでの間にかかれたものである。その一つ一つを、こんにちわたしたちが民主主義文学運動のなかにもっている諸問題とてらしあわせてよむとき、深い興味があるばかりでなく、むしろ駭然とさせられるところがある。この一巻に集められている二十数篇の評論、批評は、理論的に完成されていない部分や、展開の不十分な面をふくんでいるにもしろ、日本の人民階級の文学、人間解放のため文学がもっている基本課題をとりあげ、それを正当に推進させようとする努力において、ちっとも古びていないばかりか、民主主義文学の時代に入ってからこと新しく揉まれて来ている階級性の問題、主体性の問題、社会主義的リアリズムの問題、文学と政治の問題などが、これらのプロレタリア文学運動の末期の評論のうちに、その本質はつかみ出されているということを再発見する。
この事実は、わたし一個人の達成としてとりあげられるのではない。日本でプロレタリア文学運動がこんにちのわたしたちの活動のために基礎づけたものの積極面が、はっきりくみとれるという意味なのである。
一九三六、七年以後から十年の歳月は、日本の人民とその文学にとって、野蛮と死の期間であった。