蔦の門
本文約7,300字 ・ 読了時間 約15分
あらすじ(AIが作成しました)
都会の邸宅の門に鬱蒼と茂る蔦を通じて、そこに住む「私」、年老いた使用人のまき、近所の少女ひろ子の交流を描く。まきは当初、門の蔦の芽を摘む子供たちを厳しく叱責していたが、ひろ子との間に親密な情愛が芽生え、次第に孤独を癒やし合う母子のような関係へと変化していく。時を経て自立したひろ子は看護婦として戦地へ赴き、老境に入ったまきは、蔦の成長とともに芽生えた大切な人との縁を静かに回想する。
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私の住む家の門には不思議に蔦がある。今の家もさうであるし、越して来る前の芝、白金の家もさうであつた。もつともその前の芝、今里の家と、青山南町の家とには無かつたが、その前にゐた青山隠田の家には矢張り蔦があつた。都会の西、南部、赤坂と芝とを住み歴る数回のうちに三ヶ所もそれがあるとすれば、蔦の門には余程縁のある私である。
目慣れてしまへば何ともなく、門の扉の頂より表と裏に振り分けて、若人の濡れ髪を干すやうに閂の辺まで鬱蒼と覆ひ掛り垂れ下る蔓葉の盛りを見て、たゞ涼しくも茂るよと感ずるのみであるが、たま/\家族と同伴して外に出で立つとき誰かゞ支度が遅く、自分ばかり先立つて玄関の石畳に立ちあぐむときなどは、焦立つ気持ちをこの葉の茂りに刺し込んで、強ひて蔦の門の偶然に就いて考へてみることもある。
結局、表扉を開いて出入りを激しくする職業の家なら、たとへ蔦の根はあつても生え拡がるまいし、自然の做すまゝを寛容する嗜癖の家族でなければかういふ状態を許すまい。蔦の門には偶然に加ふるに多少必然の理由はあるのだらうか――この私の自問に答へは甚だ平凡だつたが、しかし、表門を蔦の成長の棚床に閉ぢ与へて、人間は傍の小さい潜門から世を忍ぶものゝやうに不自由勝ちに出入するわが家のものは、無意識にもせよ、この質素な蔦を真実愛してゐるのだつた。ひよつとすると、移転の必要あるたび、次の家の探し方に門に蔦のある家を私たちは黙契のうちに条件に入れて探してゐたのかも知れない。さう思ふと、蔦なき門の家に住んでゐたときの家の出入りを憶ひ返し、丁度女が額の真廂をむきつけに電燈の光で射向けられるやうな寂しくも気うとい感じがした。そして、従来の経験に依ると、さういふ家には永く住みつかなかつたやうである。