三尺角
本文約10,500字 ・ 読了時間 約22分
あらすじ(AIが作成しました)
水辺の部落で暮らす若き木挽きの与吉は、病床にある父のため、魚を一切食べない父の口に合う食事を工夫する日々を送る。ある日、仕事場で巨大な樟を挽いている最中、与吉は材木が化身し枝葉が茂る幻影に襲われる。大声で叫びながら駆け出した先で、与吉は、過酷な運命の中で身を捧げながらも、恋い慕う相手との再会を願い、死を目前にして耳が遠くなったかのような状態にあるお品の元へと至る。
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一
「…………」
山には木樵唄、水には船唄、驛路には馬子の唄、渠等はこれを以て心を慰め、勞を休め、我が身を忘れて屈託なく其業に服するので、恰も時計が動く毎にセコンドが鳴るやうなものであらう。また其がために勢を増し、力を得ることは、戰に鯨波を擧げるに齊しい、曳々!と一齊に聲を合はせるトタンに、故郷も、妻子も、死も、時間も、慾も、未練も忘れるのである。
同じ道理で、坂は照る/\鈴鹿は曇る=といひ、袷遣りたや足袋添へて=と唱へる場合には、いづれも疲を休めるのである、無益なものおもひを消すのである、寧ろ苦勞を紛らさうとするのである、憂を散じよう、戀を忘れよう、泣音を忍ばうとするのである。
それだから追分が何時でもあはれに感じらるゝ。つまる處、卑怯な、臆病な老人が念佛を唱へるのと大差はないので、語を換へて言へば、不殘、節をつけた不平の獨言である。
船頭、馬方、木樵、機業場の女工など、あるが中に、此の木挽は唄を謠はなかつた。其の木挽の與吉は、朝から晩まで、同じことをして木を挽いて居る、默つて大鋸を以て巨材の許に跪いて、そして仰いで禮拜する如く、上から挽きおろし、挽きおろす。此度のは、一昨日の朝から懸つた仕事で、ハヤ其半を挽いた。丈四間半、小口三尺まはり四角な樟を眞二つに割らうとするので、與吉は十七の小腕だけれども、此業には長けて居た。
目鼻立の愛くるしい、罪の無い丸顏、五分刈に向顱卷、三尺帶を前で結んで、南の字を大く染拔いた半被を着て居る、これは此處の大家の仕着で、挽いてる樟も其の持分。