お花見雑感
本文約1,100字 ・ 読了時間 約3分
あらすじ(AIが作成しました)
逗子での生活を経て久しぶりにお花見に出かけた著者が、現代の女性の風俗と桜の調和について綴る。かつての文金高島田のような美しさと比べ、現在の化粧や服装は桜の下で黒っぽく沈んでしまい、色使いも混沌としていると指摘する。花見の楽しみ方は個人の自由としつつも、現代の風俗が持つ美意識の変化を憂い、花と人が競い合うような華やかな景色や、自然な振る舞いが失われていることへの率直な感慨を記す。
💰 この本を応援する(投げ銭)
四五年といふもの逗子の方へ行つてゐたので、お花見には御無沙汰した。全體彼地では汐風が吹くせゐか木が皆小さくて稀に二三株有つても色も褪せて居るやうだから、摘草などをこそすれつい/\花を見る事は先づすくないのである、と言つて花時に出ても來ないし、愈々以て遠々しくは成つたものの、何もお花見だからと言つて異裝なんかする事はさう別に奬勵するにも及ばなければ、恐しく取緊る事もないと思ふ。さうしなければ樂めないといふ譯もなし、普通の身裝で普通の顏で、歡樂を擅にする事ができるのだから。
近來櫻花の下を通る女の風俗を見るに、どうも物足りない點がある、花に對する配合が惡い。たとへば上野なら上野で、清水の堂に、文金の高島田、紫の矢絣、と云つた美人が、銀地の扇か何か持つてゐるといふと、……奈何にも色彩が榮えて配合その宜しきを得てゐるが、これが今時のやうな風俗であると一寸弱る、前述のやうだとお花見らしい上野が見えると言ふもの。夫から上野にしろ向島にしろ、そこらを歩いてゐる女達が、左程迄にゆかなくつても、濃艶淡彩とり/″\に見えるけれど、此頃の風俗ではパツと咲いてる櫻花の下に、女は唯黒ツぽく見えるばかり、打見たところ色が雜つて、或混氣のない心持のよい色だけで、身裝を飾るといふ事が出來なくなつたらしく、色の上にぼかしをかけて、ぼかし過ぎた部分へまた白粉の極彩色、工手間のかゝつた、一刷毛で埓のあかぬ化粧ぶりは、造花に配したら見劣もしまいけれど、唯妙に薄黒く見えるので、全體海老茶といふあの色がもう黒く見える。其他背負上、帶の色、混沌たる色彩を爲して、二重にも三重にも塗りつけた有樣がある。そこで其色彩が、日中の花盛砂埃を浴びて立つても水際立つて美しくあつて然るべきのが、ボーツと霞んで居る時に見ても一向鮮かに見えぬ。