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TORENDIA

花を持てる女

本文約17,900字 ・ 読了時間 約36分

あらすじ(AIが作成しました)

私と妻は亡き母の墓参りのため、東京・向島の古寺を訪れる。かつての面影を失った場末の風景の中、私は母の墓石のそばにある小さな墓の主を不思議に思いつつ、過去の記憶と妻という未来を抱えながら焼香する。その後、父の危篤を機に生い立ちを回想し、子供時代に見た母の若い頃の写真や、幼い記憶に残る生父の墓の光景を通し、自分自身の血縁と過ぎ去った歳月、そして失われていく記憶の断片を辿る。

堀辰雄

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一

私はその日はじめて妻をつれて亡き母の墓まいりに往った。

円通寺というその古い寺のある請地町は、向島の私たちのうちからそう離れてもいないし、それにそこいらの場末の町々は私の小さい時からいろいろと馴染のあるところなので、一度ぐらいはそういうところも妻に見せておこうと思って、寺まで曳舟通りを歩いていってみることにした。私たちのうちを出て、源森川に添ってしばらく往くと、やがて曳舟通りに出る。それからその掘割に添いながら、北に向うと、庚申塚橋とか、小梅橋とか、七本松橋とか、そういうなつかしい名まえをもった木の橋がいくつも私たちの目のまえに現れては消える。ここいらも震災後、まるっきり変ってしまったけれども、またいつのまにか以前のように、右岸には大きな工場が立ち並び、左岸には低い汚い小家がぎっしりと詰まって、相対しながら掘割を挾んでいるのだった。くさい、濁った水のいろも、昔のままといえば昔のままだった。

地蔵橋という古い木の橋を私たちは渡って、向う側の狭い横町へはいって往った。すぐもうそこには左がわに飛木稲荷の枯れて葉を失った銀杏の古木が空にそびえ立っている。円通寺はその裏になっていて、墓地だけがその古い銀杏と道をへだてて右がわにある。黒いトタン塀の割れ目から大小さまざまな墓石を通行人の目に触れるがままに任せて。……

もうすこしゆくと請地の踏切に出るのだが、ここいらはことのほか、いかにもごみごみした、汚い、場末じみた光景を残している。乾物屋と油屋の間に挾まれた、花屋というのも名ばかりのような店先で、花を少しばかり買い、それから寺に立ち寄って寺男に声をかけ、私たちだけで先きに墓地のほうへ往った。

墓地は、道路よりも低くなっているので、気味わるく湿め湿めしていて、無縁らしい古い墓のまわりの水たまりになっているのさえ二三見られる位だった。

「ずいぶん汚い寺で驚いたか。」私は妻のほうへふり返って言った。

「元禄八年なんて書いてあるわ……」妻はそれにはすぐ返事をしずに、立ち止って自分のかたわらにある古い墓の一つに目をやっていた。それから何んとなく独言のようにいった。「ずいぶん古いお寺なのね。」

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