TRENDIA CLASSIC

あひびき

堀辰雄

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……一つの小徑が生ひ茂つた花と草とに掩はれて殆ど消えさうになつてゐたが、それでもどうやら僅かにその跡らしいものだけを殘して、曲りながらその空家へと人を導くのである。もう人が住まなくなつてから餘程になるのかも知れぬ。それまで西洋人の住まつてゐたらしいことは、そのささやかな御影石の間に嵌めこまれた標札にかすかに A. ERSKINE と横文字の讀めるのでも知られる。

その空家は丁度或るやや急な傾斜をもつた坂道の中腹にあつた。一たいに坂道といふものがどれでも多少人を夢見心地にさせる性質のものである。さういふ坂道の中途まで來てふと足を止めた瞬間、ひよいとそんな荒れ果てた庭園が目に入るので、人はますますその空家を何だか夢の中ででも見てゐるやうな氣がするのである。

或る日のこと、その坂道を一人の少年と一人の少女とが互に肩をすりあはせるやうにして降りてきた。小さな戀人たちなのかも知れない。さう云へば、さつきから自分等のための love-scene によいやうな場所をさんざ搜しまはつてゐるのだが、それがどうしても見つからないですつかり困つてしまつてゐるやうな二人に見えないこともない。――

そんな二人がその坂の中途まで下りて來て、ふと足を止めて、さういふ繪のやうな空家とその庭とを目に入れたのである。それを見ると、二人は互に目と目とでこんな會話をしたやうだつた。「ここなら誰にも見られつこはあるまい」「ええ、私もさう思ふの……」

さう決めたのか、二人はその坂の中腹から彼等の背ぐらゐある雜草をかき分けながらその空家の庭へずんずんはひつて行つた。ちよつと不安さうな眼つきで横文字の書いてある標札をちらりと見ながら。……

その庭園の奧ぶかくには、彼等が名前を知らないやうな花がどつさり咲いてゐた。少年はその一つの叢を指しながら、

「やあ、薔薇が咲いてゐらあ……」と、いくぶん上ずつた聲で云つた。

「あら、あれは薔薇ぢやありませんわ」少女の聲はまだいくらか少年よりも落着いてゐる。「あれは蛇苺よ。あなたは花さへ見れば何でも薔薇だと思ふ人ね……」

「さうかなあ……」

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