「青猫」について
本文約3,100字 ・ 読了時間 約7分
あらすじ(AIが作成しました)
1935年の春、作者は萩原朔太郎と再会し、詩集「青猫」の決定版(editiondefinitive)を受け取る。かつて十九歳の自分を夢中にさせた詩集を手に、作者は萩原の詩人としての苦闘や、日常の言葉で魂の奥深い感情を表現しようとするその真摯な姿を見つめ直す。本書は、萩原の自信と愛着が詰まった「青猫」を軸に、詩人への思慕や、自身の過去と現在を織り交ぜながらその詩的本質を綴る回想録である。
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私は萩原朔太郎さんのことを考へると、いつも何處かの町角の、午後の、まだぱあつと日のあたつてゐる、閑靜なビヤホオルかなんぞで二人きりで話し合つてゐるやうな記憶が一番はつきりと浮んでくる。それだのに、萩原さんのほうでは、私のことを思ふときは、いつも山間のホテルの露臺のやうなところで二人で話し合つてゐる姿がうかぶといはれてゐた。……
いまも、詩集「青猫」のことなど書いてみたいと思つてゐると、まづ、こんな或日の出會がよみ返つてくる。それは一九三五年の春さきだつた。私は或竝木のある裏通りで萩原さんにばつたり出會つた。その冬のをはり頃、私は山のサナトリウムから出てきたばかりだつた。
「ちやうど好かつた。君はまだ山のはうかとおもつてゐたんだがね……」
さう云はれながら、萩原さんは、その裏通りに面して飾り窓に版畫などを竝らべた小さな店のなかへ私を連れてはひられた。その店はこのごろ詩集の出版などもやり、ちやうど萩原さんの「青猫」の dition dfinitive が出來たところで、それへ署名をしに來られたのだつた。
「君にも上げたいと思つてゐたのだ。」
萩原さんはさういふと、最初手にとられた一册に無ざうさに署名をして私に下すつた。それから店の主人などを相手に他の本へ署名をせられたりしてゐたが、その傍らで、私はそのいただいた本を披らいて、なにげなささうにそのなかの插繪を見たりしてゐた。
しかし私はそのとき心のうちでは、さまざまなことを思ひ出してゐた。十年ばかり前の、もつとざらざらした紙に印刷され、もつとちぐはぐな插畫の入つてゐた「青猫」の初版が出た當時のこと、私がまだ十九かそこいらでその詩集をはじめて求め得て、黒いマントのなかにその黄いろいクロオスの本をいつも大事さうにかかへて歩いてゐたことなどを、それからそれへと思ひ出してゐた。さうしてその頃の自分にとつては、何處かしらない、遠い山脈にとりかこまれた、廣い平野のまんなかのちひさな町で孤獨な生活をしてゐるその詩人が、自分なんぞからははるかに遠いものとして、それゆゑ一層切なく、思慕されない日とてはなかつたのだ……