旧聞日本橋
本文約6,700字 ・ 読了時間 約14分
あらすじ(AIが作成しました)
幕末の旗本の末裔である藤木氏は、放蕩を繰り返し、家計を支えるために住居の床下の土を売るなどして糊口を凌ぐ。その後、芸妓となった二人の娘の活躍により、芸妓屋の主として華やかな晩年を送る。本書は、その風変わりな生涯と、周囲の人々との交流やエピソードを回想録として綴る。
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一族の石塔五十幾基をもった、朝散太夫藤木氏の末裔チンコッきりおじさんは、三人の兄弟であったが、揃いもそろった幕末お旗本ならずものの見本で、仲兄は切腹、上の兄は他から帰ってきたところを、襖のかげから跳り出た父親が手にかけたのだった。末子のチンコッきりおじさんが家督をついだ時分には、もうそんな、放蕩児なぞ気にかけていられない世の忙しさだった。
岡本綺堂氏作の『尾上伊太八』という戯曲の中に、伊太八という幕末の江戸武士が吉原の花魁尾上と心中をしそこなって非人におとされてから、非人小屋の床下を掘る場面があるが、あれを見るたびに私は微笑とも苦笑ともなづけがたいほほえみが突上げてくる。伊太八のは根強い悪だが藤木さんのは時代のユーモアがある。この放蕩漢兄弟は金がほしくなると種々な智恵の絞りっこをしたが、だんだんに詰って土を売ることを思いついた。
江戸の下町でよい庭をつくるには、山の手の赤土を土屋から入れさせるのである。今のように富限者が、山の手や郊外に土地をもっても、そこを住居にしていなかったので、蔵と蔵との間へ茶庭をつくり、数寄をこらす風流を楽しんでいた。一木何十両、一石数百両なぞという――無論いまより運搬費にかかりはしたであろうが贅沢を競った。その地面に苔をつけるには下町の焼土では、深山、または幽谷の風趣を求めることは出来ない。植木のためにもよくない、そこで赤土の価がよい。