TRENDIA CLASSIC

旧聞日本橋

長谷川時雨

1 / 4

あたしの古郷のおとめといえば、江戸の面影と、香を、いくらか残した時代の、どこか歯ぎれのよさをとどめた、雨上りの、杜若のような下町少女で、初夏になると、なんとなく思出がなつかしい。

土一升、金一升の日本橋あたりで生れたものは、さぞ自然に恵まれまいと思われもしようが、全くあたしたちは生花の一片も愛した。現今のように、ふんだんに花の店がない時分だから、一枝の花の愛しみかたも格別だった。紅梅が咲けば折って前髪に挿し、お正月の松飾りの、小さい松ぼっくりさえ、松の葉にさして根がけにした。山吹の真白なじくも押出して、いちょうがえしへかけた。五月の節句には菖蒲の葉を前髪に結んだり、矢羽根に切ったのを簪にさしたものだった。

新藁は、いきな女の投島田ばかりに売れるのではなく、素人でも洗い髪を束ねたりしてよく売れた。燕の飛ぶ小雨の日に、「新藁、しんわら」と、はだしの男が臑に細かい泥を跳ねあげて、菅笠か、手ぬぐいかぶりで、駈足で、青い早苗を一束にぎって、売り声を残していった。

水玉という草に水をうって、涼しくかけたものだが、みんな一時のもので、赤くひからびるまではかけていない。直にかけかえる手数はいとわなかった。一たい、平日から油染んだ髪をきらっていたから、菅糸だって、葛引だって、金紗(元結ぐらいな長さの、金元結の柔らかい、縒のよい細いようなのを、二、三十本揃えたもの。芝居の傾城の鬘[#「鬘」は底本では「鬢」]にかけてあるのと同じ)だって、プツンと断って、一ぺんかけただけだった。

深窓な育ちでも、どこか女伊達めいた気風をもって、おそろしく仁義礼智の教えを守って――姿の薄化粧のように、魂も洗おうとした。この二行ばかりの文章は、文飾のようにもとられようが、濃かれ薄かれ、そんな気持ちはたしかにあったのだ。人と、その性質は別としても、その地方色としては――

古い日記をくりかえして見ると、父が話してくれたことが書いてあるので、此処へ抜いて見よう。

長谷川時雨の他の作品