TRENDIA CLASSIC
旧聞日本橋
長谷川時雨
1 / 13
堀留――現今では堀留町となっているが、日本橋区内の、人形町通りの、大伝馬町二丁目後の、横にはいった一角が堀留で、小網町河岸の方からの堀留なのか、近い小舟町にゆかりがあるのか、子供だったわたしに地の理はよく分らなかったが、あの辺一帯を杉の森とあたしたちは呼んでいた。
土一升、金一升の土地に、杉の森という名はおかしいようだが、杉の森稲荷の境内は、なかなか広く、表通りは木綿問屋の大店にかこまれて、社はひっそりしていた。そのかみの東国、武蔵の国の、浅草川の河尻の洲のなかでも、この一角はもとからの森であったのかもしれない。ともかく、かなりの太さの杉の木立ちも残っていた。
社の裏の方は、細い道があって、そこには玉やという貸席や、堅田という鳴物師などが住んでいる艶めかしい空気があった。ずっと前には、この辺も境内であったのであろう。それゆえか、その細道には名がなくて、小路を出たところの横町がいなり新道というのだった。以前の葺屋町、堺町の芝居小屋への近道なので、その時分からこの辺も、そんな柔らかい空気の濃厚な場所だったかもしれない。そしてまた、この杉の森は、享保のころ、芝居でする『恋娘昔八丈』や『梅雨小袖昔八丈』などの白木屋お駒――実説では大岡裁判の白子屋お熊の家のあった場所であり、お熊の家は材木商であったのだから、堀留は、深川木場の材木堀のように、材木を溜めておく置場にもなっていたのかもしれない。
こんな、あぶなっかしい地理より、ここに『江戸名所図絵』がある。これによると、杉の森稲荷社所在地は、新材木町で、社記によれば、相馬将門威を東国に振い、藤原秀郷朝敵誅伐の計策をめぐらし、この神の加護によって将門を亡したので、この地にいたり、喬々たる杉の森に、神像を崇め祀ったのだとある。
長谷川時雨の他の作品
TRENDIA CLASSIC
糸繰沼
長谷川時雨
糸繰沼
長谷川時雨 ・ 約3分
TRENDIA CLASSIC
人魂火
長谷川時雨
人魂火
長谷川時雨 ・ 約2分
TRENDIA CLASSIC
家
長谷川時雨
家
長谷川時雨
TRENDIA CLASSIC
一世お鯉
長谷川時雨
一世お鯉
長谷川時雨
TRENDIA CLASSIC
尼たちへの消息
長谷川時雨
尼たちへの消息
長谷川時雨
TRENDIA CLASSIC
あるとき
長谷川時雨
あるとき
長谷川時雨
TRENDIA CLASSIC
市川九女八
長谷川時雨
市川九女八
長谷川時雨
TRENDIA CLASSIC
うづみ火
長谷川時雨
うづみ火
長谷川時雨
TRENDIA CLASSIC
大川ばた
長谷川時雨
大川ばた
長谷川時雨
TRENDIA CLASSIC
江木欣々女史
長谷川時雨
江木欣々女史
長谷川時雨
TRENDIA CLASSIC
大塚楠緒子
長谷川時雨
大塚楠緒子
長谷川時雨
TRENDIA CLASSIC
遠藤(岩野)清
子
長谷川時雨
遠藤(岩野)清子
長谷川時雨