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TORENDIA

耶馬渓の一夜

本文約5,100字 ・ 読了時間 約11分

あらすじ(AIが作成しました)

中津の停車場から軌道車に乗り込んだ一行は、雨の降る中、耶馬渓の渓谷へと向かう。道中で奇岩の連なる風景を眺めながら目的地である柿坂の旅舎へ到着し、宿の主人一家と親しく交流しながら静かな一夜を過ごす。翌朝は晴天に恵まれ、渓谷の絶景を堪能して帰路に就く。本書は、四季折々の表情を見せる耶馬渓の独特な風情や、山村での素朴な旅の体験を綴る紀行文である。

田山花袋

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🎧 耶馬渓の一夜 / 朗読音声: VOICEVOX:雨晴はう

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町のお祭か何かで、中津の停車場はひどく雑沓した。おまけに、雨はかなりに強く降つてゐる。私達は耶馬渓に行く軌道の方へと行つて見たが、そこにも乗客が一杯押寄せてゐた。

漸く乗るには乗つたが、中々発車しない。あとからあとへと乗客が乗つて来る。大抵は祭礼を見に来た連中で、赤い腰巻をまくつた姐さんや、晴衣を着飾つた子供や、婆さまや、中には小学校の先生らしい人々もゐた。皆な腰をかけずに立つてゐた。

「ひどく込むわねえ。」

かう一緒に伴れてゐた女は言つた。女の母親は小さくなつて隅の方に辛うじて腰をかけてゐた。これから山の中に入つて行かうとするのに、雨が止みさうにないのにも私達は心を苦しめた。

耶馬渓の谷の中にも、旅舎はあるに相違ない。しかし何ういふ旅舎が私達を迎へるであらうか。汚い蒲団、暗いわびしい室、碌々言葉もわからないやうな山中の民――かう思ふと旅の興も失せかけた。

暫くして軌道車は出た。鉄道馬車の少し早い位である。ぐる/\と、中津の町は見えてそして隠れて行つた。頼山陽の最初に滞在した寺が其処から近いといふ停車場あたりからは、杉林が段々見え出して、向うに旧知の八面山がその城壁のやうな姿をあらはして来た。小さな停車場は停車場につゞいた。そして一杯に乗つてゐた人達は一人下り二人下りて、これからそろ/\渓に入らうとするところにある停車場に行つた時には、もう立つてゐるものもなくなる位に車室はゆるやかになつてゐた。

雨も小降りになつた。

「好い塩梅ね――」

かう女は喜ばしさうに言つた。

やがて渓はその最初の潺渓を段々その前に展いて来た。村が山に凭つたり渓に沈んだりしてゐる。深く覗かれた谷には、瀬が白く美しく砕けてゐた。

私は此の前に来た時のことなど思ひ浮べてゐた。其時は、中津から川に添つて、暑い道を馬車で来た。福岡に男と駈落した村の娘の伴れて帰られるのと一緒であつた。娘はしほ/\としてゐて、伴れの男が氷を買つて呉れても、それを飲むにすら気が進まないといふ風であつた。可愛い眼をした娘だつた。

「おゝ好い」

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