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TORENDIA

人形の話

本文約4,200字 ・ 読了時間 約9分

あらすじ(AIが作成しました)

人形の歴史的変遷と信仰的意味を綴る。室町時代に興行化された人形は、かつて形代としてけがれを吸収する存在であった。奥州の「おしらさま」や淡島信仰の事例を通じ、人形が持つ祓いの機能が、いかにして雛遊びや物語を語る芸能へと転換し、家庭や信仰の中に根付いていったのか、その神事や民間伝承に由来する重層的な構造を論じる。

折口信夫

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🎧 人形の話 / 朗読音声: VOICEVOX:玄野武宏

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歌舞伎に関係のある話は、御祭りの芝の舞台の話でしまっておき、この章では話を変えて、人形の話を簡単にしておきたいと思う。前に人形の舞台と歌舞伎芝居の舞台との関係について、ごくおおざっぱな話をしておいたが、今日はそれからもう少し路を開いていきたいと思う。

人形は室町になり突如としてある興行団体の手によって興行されだした。ということはいったいどういうことを意味しているか。これは室町になって、世間から認められて、座を構えるだけのパトロンができてきたということにすぎない。それ以前はどういう団体であったか。室町時代の記録をみればよくわかる。人形廻し(「くぐつ廻し」というと少し古典的になる)あるいは「ひひな(雛)使ひ」というものが、室町になり、はじめて物語を伴うようになったということは、それ以前は人形廻し自身が人形に台辞をつけていた、それが、台辞も地の文も一緒に語る浄瑠璃語りのようなものが出てきて、人形廻しは台辞をつけぬことになった。非常な違いである。

だから、その前の「ひひな使ひ」は、「ひひな」に関する叙事詩を語っていたにちがいない。それが抒情詩になってきた。昔男があって、長者の女に通うたということを歌いながら人形を使う。すると世間の人は「ひひな」自身が物語をしているというふうに理解する。従来日本の民間に行なわれている唱導文学の聞き方からいうと、どうしてもある一種の神事にあずかる人、すなわち「ほかひ人」のする芸能は、神がいうていると聞く習慣があるために、人形が語っているように感ずる。

われわれからいうと、地の文、詞の部分、さわりの部分はみな別であるが、昔はほとんど詞の部分がなく、地の文ばかりで、それを人形自身が語っていると感ずる習性を、昔の人はもっていた。

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