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TORENDIA

まじなひの一方面

本文約1,200字 ・ 読了時間 約3分

あらすじ(AIが作成しました)

蝮を咬まれた患部にすり込む民間療法や畸形の南瓜を両方食べる慣習を例に、毒を毒で制する「讐討ち療法」という観点からまじなひの構造を考察する。精霊の活動を指す古語に遡り、霊の純用であるくすると、その不純な活用であるまじなふの差異を明らかにするとともに、まじなひが内包する利己的な動機や、雑神や浮浪神といった人々に恐れられた存在との関わりについて論じる。まじなひという言葉が孕む変遷と、人々の経験に対する信仰的側面を明らかにする。

折口信夫

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🎧 まじなひの一方面 / 朗読音声: VOICEVOX:九州そら

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まじなひ殊に、民間療法と言はれてゐるものゝ中には、一種讐討ち療法とでも、命くべきものがある様である。蝮に咬まれた時は、即座に、其蝮を引き裂いて、なすりつけて置きさへすればよいとか、蜂をむしつて、螫された処に擦り込んで置かなくてはならぬ、など言ふのが、其である。

幼い心を持つてゐた昔の人にとつては、人を悩し苦める毒を、身内に蓄へてゐる毒虫などが、どうして、自身其毒にあたらぬだらうと言ふことは、可なりむづかしい疑問であつたに違ひない。其にはきつと、其毒を消すに足るだけの要素を同時に、一つからだに具へてゐるに違ひない、と解釈するより外に、為方はなかつた事と思ふ。

ばちぇら氏の下女であつたあいぬが、主人が畑から南瓜の双子をとつて来て、食べようとしてゐるのを止めて、「さういふ畸形のなり物を食べるには必、片方食べてはならぬと言ひます。両方とも喰べてしまはねば、祟りを受けます。前半の祟りは、後半が祓ふことになつて居るのですから」と言うた(あいぬ人及其説話)話は、やはり、蝮や蜂の場合と、同じ考へを語つてゐるのであつた。「毒喰はゞ皿まで」など言ふ、粗大な諺の源も、或はこんな処に、存外なひつ懸りを持つてゐるのかも知れぬ。一方、われとわが身内の毒の鬱積に苦しんで、毒蛇などが、人の救ひを受けたと言ふ形の話も、ちよい/\見える。かういふまじなひの出来た、一面の理由を語るものである。

今日まじなひと言ふ語に、おしなべて括んで居る事がらも、実は、其分類に不適当なものを雑へてゐる。一体此語は、不合理と言はぬ迄も、われ/\の思惟を超越した結果を、必然的に喚び起す意味であるから、正当な除去の方法とは、人皆考へてゐぬのである。喰ひ合せをこはがるのと似た、先人の経験に対する、漠然とした信用と見てよからう。而も、祈祷や医薬の中に籠るべきものまで雑つてゐるのが、後世のまじなひで、語原の意識がまだ失はれずして、内容は既に、多分の変移を来して居るのである。

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