おとずれ
本文約13,800字 ・ 読了時間 約28分
あらすじ(AIが作成しました)
恋人である千葉富子に捨てられた宮本二郎は、南洋への航海へと旅立つ。二郎の友人である語り手は、富子への恨みと二郎との別れに苦悩しながらも、彼を見送る。一年余りが過ぎた後、語り手と二郎は思わぬ場所で再会を果たす。二郎は富子の写真を再び手元に受け入れ、二人は互いの胸中を確かめ合う。本作は、過ぎ去った春と失われた恋の記憶を抱え、それぞれの道を歩もうとする若者たちの心情と運命を綴る書簡体の物語である。
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上
五月二日付の一通、同十日付一通、同二十五日付の一通、以上三通にてわれすでに厭き足りぬと思いたもうや。もはやかかる手紙願わくは送りたまわざれとの御意、確かに承りぬ。されど今は貴嬢がわれにかく願いたもう時は過ぎ去りてわれ貴嬢に願うの時となりしをいかにせん。昨年の春より今年の春まで一年と三月の間、われは貴嬢が乞わるるままにわが友宮本二郎が上を誌せし手紙十二通を送りたり、十二通に対する君が十五通の礼状を数えても一年と三月が間の貴嬢がよろこびのほどは知らる。今十二通の裏にみなぎる春の楽しみを変えて三通を貫く苦き消息となしたもうは貴嬢ならずや。貴嬢がいかに深き事情ありと弁解きたもうとも、かいなし、宮本二郎が沈みゆく今のありさまに何の関りあらん。かの三通はげに貴嬢が読むを好みたまわぬも理ぞかし、これを認めしわれ、心乱れて手もふるいければ。されどわれすでにこの三通にて厭き足りぬと思いたまわば誤りなり。今はわれ貴嬢に願うべき時となりぬ。貴嬢はわが願いを入れ、忍びて事の成り行きを見ざるべからず、しかも貴嬢、事の落着は遠くもあるまじ、次を見候え。――手荒く窓を開きぬ。地平線上は灰色の雲重なりて夕闇をこめたり。そよ吹く風に霧雨舞い込みてわが面を払えば何となく秋の心地せらる、ただ萌え出ずる青葉のみは季節を欺き得ず、げに夏の初め、この年の春はこの長雨にて永久に逝きたり。宮本二郎は言うまでもなく、貴嬢もわれもこの悲しき、あさましき春の永久にゆきてまたかえり来たらぬを願うぞうたてき。
わが心は鉛のごとく重く、暮れゆく空の雲をながめ入りてしばしは夢心地せり。われには少しもこの夜の送別会に加わらん心あらず、深き事情も知らでただ壮なる言葉放ち酒飲みかわして、宮本君がこの行を送ると叫ぶも何かせん。
げに春ちょう春は永久に逝きぬ。宮本二郎は永久を契りし貴嬢千葉富子に負かれ、われは十年の友宮本二郎と海陸、幾久しく別れてまたいつあうべきやを知らず、かくてこの二人が楽しき春は永久にゆきたり。わが心は鉛のごとく重く、暮れゆく空は墓のごとし。