二老人
本文約6,400字 ・ 読了時間 約13分
あらすじ(AIが作成しました)
日比谷公園のベンチで休息する六十歳の石井翁は、甥の武から仕事に就くよう説得を受け続ける。翁は恩給による質素な生活に満足し、無為に過ごす日常を貫こうとする。ある日、公園で知り合いの河田翁と再会した石井は、彼が抱える集金での使い込みという秘密を打ち明けられる。困窮する河田の姿を目の当たりにした石井は、自身の生き方と向き合いながら、彼が焦燥のうちに去っていく後ろ姿を茫然と見送る。
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上
秋は小春のころ、石井という老人が日比谷公園のベンチに腰をおろして休んでいる。老人とは言うものの、やっと六十歳で足腰も達者、至って壮健のほうである。
日はやや西に傾いて赤とんぼの羽がきらきらと光り、風なきに風あるがごとくふわふわと飛んでいる、老人は目をしばたたいてそれをながめている、見るともなしに見ている。空々寂々心中なんらの思うこともない体。
老人の前を幾組かの人が通った。老えるも若きも、病めるも健やかなるも。されどたれあってこの老人を気に留める者もなく、老人もまた人が通ろうと犬が過ぎ行こうと一切おかまいなし、悠々行路の人、縁なくんば眼前千里、ただ静かな穏やかな青空がいつもいつも平等におおうているばかりである。
右の手を左の袂に入れてゴソゴソやっていたが、やがて「朝日」を一本取り出して口にくわえた。今度はマッチを出したが箱が半ばこわれて中身はわずかに五六本しかない。あいにくに二本すりそこなって三本目でやっと火がついた。
スパリスパリといかにもうまそうである。青い煙、白い煙、目の先に透明に光って、渦を巻いて消えゆく。
「オヤ、あれは徳じゃないか。」
と石井翁は消えゆく煙の末に浮かび出た洋服姿の年若い紳士を見て思った。芝生を隔てて二十間ばかり先だから判然しない。判然しないが似ている。背格好から歩きつきまで確かに武だと思ったが、彼は足早に過ぎ去って木陰に隠れてしまった。
この姿のおかげで老人は空々寂々の境にいつまでもいるわけにゆかなくなった。
甥の山上武は二三日前、石井翁を訪うて、口をきわめてその無為主義を攻撃したのである。武を石井老人はいつも徳と呼ぶ。それは武の幼名を徳助と言ってから、十二三のころ、徳の父が当世流に武と改名さしたのだ。
徳の姿を見ると二三日前の徳の言葉を老人は思い出した。