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TORENDIA

情意の干満

本文約2,600字 ・ 読了時間 約6分

あらすじ(AIが作成しました)

海潮の干満になぞらえ、自身の精神活動の揺れを綴る。周囲の事物に感動して魂が剥き出しになる情意の干潮時と、現実や社会の矛盾に苛まれ冷徹な視線を向ける満潮時、その両極を行き来する自己を観察する。やがて恋人との幸福な追憶を起点に、精神の赤裸な情緒に衣を着せる境地、すなわち批評家や創作家として立つための深淵なる精神の在り方について、自省を交えながら思索を深めていく。

豊島与志雄

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🎧 情意の干満 / 朗読音声: VOICEVOX:雨晴はう

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海の潮にも似たる干満を、私は自分の情意に感ずる。

*

書物を読み、絵画を見、音楽を聴き、人の話に耳を傾け……而もそれが如何に平凡なものであろうとも、一つの句、一つの色、一つの音、一つの声が、全体の凡庸愚劣卑俗から遊離し昇華して、私の心を打つ。私には全体の見通しがつかず、独立した個々の一部が、偉大なる天才の手に委ねられて、万華鏡の硝子の破片のように――ダイヤのように――閃めく。言葉を信ずべからず、如何なる人の口より発せられたるかを先ず批判せよ、とは真理であるが、ここにはその真理は成り立たない。凡てが誠実の口から発せられる。私の魂は皮膚を剥がれた赤肌である。私は屡々涙ぐんでいる自分をさえ見出す。こういう時私は、批評家ではない。唾棄すべきものをも感嘆するからである。猶更、創作家ではない。反故以下のものをも書きちらすからである。こういう時私は、生活を考えてはいけない。皮相な妥協に甘んずるからである。猶更、社会を考えてはいけない。感傷的な人道主義に陥るからである。私の凡ての精神活動は涙で曇らされる。この涙の曇りを、私はルーソーに見出す。ドストエフスキーに見出す。ルイ・フィリップに見出す。ニイチェにさえも、否大抵の人に多少とも……。そして私の眼には、通俗版画のなかの、キリストを仰ぎ見る使徒たちの眼付が、まざまざと映ってくる。ああいう眼付で彼等はキリストを眺めた筈はない。然し今私は、それに似た眼付で凡てのものを眺める。

情意の干潮の時なのだ。

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