帝銀事件を論ず
本文約7,200字 ・ 読了時間 約15分
あらすじ(AIが作成しました)
帝銀事件で犯人の姿に戦争の匂いを感じる著者は、戦後の荒廃した四囲の現実を論じる。靴や時計がはぎとられた焼け跡の風景や過酷な雑居生活、押し潰される電車など、貧困と現実の過酷さが人々の魂をむしばむ現状を指摘する。犯罪の根源を個人の悪ではなく物資の窮乏と社会の貧困に求め、政治家に対して人間の自覚と政治的な責任を問い、同胞への信頼を軸とした現実的かつ寛容な社会の建設を訴える。
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帝銀事件はとくに智能犯というほどのものではないようだ。
この犯人から特別つよく感じさせられるのはむしろ戦争の匂いである。私は、外地の戦場は知らないのだが、私の住む町が一望の焼け野となり、その二カ月ほど後に再び空襲を受けて、あるアパートの防空壕へ五〇キロの焼夷弾が落ちた。中に七人の屈強な壮年工がはいっていて爆死したが、爆死といっても、爆発力はないのだし、ただ衝撃で死んだだけで、焼けてもおらず、生きたままの服装で、ただ青ざめて目をとじている屍体であった。
翌日はうららかな初夏の陽がふりかがやいていたが、私が用があって、このアパートを通りかかると、アパートの隣はすでに焼け野なのだが、今しも二人の若者が七人の屍体をつみ重ねて、火をつけるところで、ちょうど七人目を運んできて、ドッコイショと放りだしたところであったが、放りだして、まだ真新しい死人の戦闘帽にふと気がつくと、それをチョイとつまみとって、火のかからぬ方へ投げやった。
私の見たのはそれだけだったが、死人の靴も時計も、こんなふうにして、この二人の若者は淡々とつまみあげて、投げだしたり、ポケットへ入れたりしたろうと思う。見ている私に隠したり、遠慮するソブリなどはミジンもなかった。屍体から物をはぎとること自体が、一つの義務的な作業のような有様であった。
事実、あのころは、それで良かったのであろう。あの焼け野原の東京の物資の欠乏は今どころじゃない。靴も、時計も、帽子も、あのころは金はあったが、物がなかった。これから焼いてしまう死人に、立派な靴、帽子、時計はいらないのだから、それを灰にするよりも、残して自分が使う方が国家のため役に立つ。