阿部定さんの印象
本文約3,600字 ・ 読了時間 約8分
あらすじ(AIが作成しました)
阿部定という女性の人物像と、彼女が関わった事件について綴る。作者は、阿部定を平凡で善良な女性と評し、事件を純愛の果ての悲劇として捉える。軍部が台頭する閉塞した世相の中で、ジャーナリズムによって煽情的に喧伝された事件の背景を分析し、当時の社会や司法のあり方に疑問を投げかける。恋に一途な彼女の姿を八百屋お七になぞらえ、その悲しい純情に共感を示し、人々の救いとして語り継がれるべき愛の物語であることを論じる。
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阿部定さんに会つた感じは、一ばん平凡な下町育ちの女といふ感じであつた。東京下町に生れ、水商売もやつてきたお定さんであるから、山の手の人や田舎育ちの人とは違つてゐるのが当然だが、東京の下町では最もあたりまへな奇も変もない女のひとで、むしろ、あんまり平凡すぎる、さういふ感じである。すこしもスレたところがない。つまり天性、人みしりせず、気立のよい、明るい人だつたのだらうと思ふ。
この春以来、私の家の女中は三度変つた。そのうち二人は東京の下町そだちで、一人は天理教、一人は向島の婆さん芸者であるが、この二人はどう見ても変質者としか思はれず、ヒネくれたところや歪んだところがあつたが、お定さんには、さういふ変質的なところが少しも感じられない。まつたく、まともな女なのである。お定さんの事件そのものが、さうなので、実際は非常にまともな事件だ。
僕がお定さんに、なんべん恋をしましたか、と云つたら、たつた一度なんです、それがあの人なんです、三十二で恋なんて、をかしいかも知れないけど、でも一度も恋をしないで死ぬ人だつてタクサンゐるんでせう、と訴へるやうに僕を見た。然し、この恋といふ言葉は、お定さんの自分流の解釈で、お定さんは男が好きだつたことは少女のころから有つたのである。けれども、いつも騙された。相手がいつもダマすつもりで近づいてくる男ばかり、いかにも女らしい、そして人のよい、かういふタイプの人々は、だいたい男にダマされやすいタイプぢやないかと私は思ふ。
つまり好きな男に好かれた、それをお定さんは恋と云つてゐるので、それがあの人一人であつたといふ。思へば気の毒な人なんであるが、又、お定さんの言ふ通り、でも恋を知らないで死ぬ人だつてタクサンあるんでせう、といふ。その通りである。好きな人に好かれる、ある意味では、そんなことはメッタにないのかも知れない。だから、お定さんがどんなに幸福で、夢中であつたか、名誉も金もいらないといふ一途な性質のものであつたことがうなづける。