ぐうたら戦記
本文約12,100字 ・ 読了時間 約25分
あらすじ(AIが作成しました)
支那事変から太平洋戦争開戦という激動の時代、著者は京都や東京、茨城、小田原と転居を繰り返しながら、何にも縛られずただ流れるままに日々を送る。周囲が戦争の熱狂に包まれる中、国家の滅亡を確信し、祖国と共に滅びる覚悟を抱きつつも、酒を飲み、碁を打ち、兵役から逃れようと腐心する。開戦の当日でさえマグロを探して二宮まで旅をするような、著者の屈託のない、かつ破天荒な戦中生活のありのままを綴る随筆である。
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支那事変の起つたとき、私は京都にゐた。翌年の初夏に東京へ戻つてきて、つづいて茨城県利根川べりの取手といふ町に住み、寒気に悲鳴をあげて小田原へ移り、留守中に家が洪水に流されて、再び東京へ住むやうになり、冬がきて、泥水にぬれたドテラを小田原のガランドウといふ友人のもとに残してきたのを取りに行つた。翌朝小田原で目をさましたら太平洋戦争が始つてゐたので、田舎の町では昼は電気のこない家が多いのでラヂオもきこえず、なんだか戦争が始まつたやうだよ、などとガランドウのオカミサンが言ふのを、仏印と泰国の国境あたりの小競合だらうぐらゐにきゝ流してゐた。正午ちかく床屋へ行かうと思つて外へでて、大戦争が始まつてゐるのに茫然としたのであつた。
国の運命は仕方がない。理窟はいらない時がある。それはある種の愛情の問題と同様で、私は国土を愛してゐたから、国土と共に死ぬ時がきたと思つた。私は愚な人間です。ある種の愛情に対しては心中を不可とせぬ人間で、理論的には首尾一貫せず、矛盾の上に今までも生きてきた。これからも生きつゞける。
それは然し私の心の中の話で、私は類例の少いグウタラな人間だから、酒の飲めるうちはノンダクレ、酒が飲めなくなると、ひねもす碁会所に日参して警報のたびに怒られたり、追ひだされたり、碁も打てなくなると本を読んでゐた。防空演習にでたことがないから防護団の連中はフンガイして私の家を目標に水をブッカケたりバクダンを破裂させたり、隣組の組長になれと云ふから余は隣組反対論者であると言つたら無事通過した。近所ではキチガヒだと思つてゐるので、年中ヒトリゴトを呟いて街を歩いてゐるからで、私と土方のT氏、これは酔つ払ふと怪力を発揮するので、この両名は別人種さはるべからずといふことになつて無事戦争を終つた。