TRENDIA CLASSIC

イプセンの日本語訳

宮原晃一郎

1 / 5

感想といふところであるから、正確な材料によるものではないし、その上、そんな材料を集めたりすることに餘り興味を持たない私であるから、此處では、只永い年月、イプセンの日本語譯に接した折々に、感じたことを、思ひ出すまゝに書付けて見よう。

イプセン最初の紹介者は故坪内逍遙博士であつたといふが、私は知らない。私がイプセンの名を知つたのは、明治三十三年に發表せられた高安月郊譯『イプセン社會劇』からである。が、然し、内容はどんなであつたか、讀んでみなかつたから分らない。『人形の家』と『人民の敵』とが載つてゐたといふ。

イプセン最初の上演は明治四十一年の初め自由劇場でやつた『ボルクマン』であるさうな。その『ボルクマン』の臺本は森鴎外の譯で、今も私の手元にある。隨分得手勝手な譯で、本當に鴎外がやつたものかどうかを、疑はせるほどの惡譯だ。泰豐吉君が明治四十三年の『文章世界』で、その誤譯指摘をやつたといふが、誤譯といふよりも、その出鱈目なのには腹が立つ。

イプセンの日本譯が最も多く出たのは、明治の末から、大正の初め頃にかけてであつた。千葉掬香がイプセンの所謂散文劇の五六篇を譯して警醒社から出し、それからやがて、森鴎外、島村抱月、中村吉藏、楠山正雄、秋田雨雀など次々に問題劇を譯した。

最も多くの人により譯されたのは『人形の家』であらう。獨和對譯といふやうなものまでも加へると、殆んど七八種に上りはせぬかと思ふ。

宮原晃一郎の他の作品