言語は生きている
本文約5,400字 ・ 読了時間 約11分
あらすじ(AIが作成しました)
言葉が時代とともに変容し生きているという現象を論じる。subjectという言葉が主観から主体へと解釈を変えながら定着してきた過程や、日本語の気という言葉が変遷してきた歴史を辿る。さらに、言葉の音そのものが独自の力感や意味をもち、時代を超えて成長していく様を、た・は・よなどの音を手がかりとして考察する。言語が絶えず読み違えられながらも更新され続けていくその動的な姿を綴る。
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フンボルトは、言葉はエルゴン(創られたるもの)ではなくして、エネルゲイヤ(創るちから)であると云う。
ほんとうに言葉は生きているように思われる。と云うか、同じ言葉を十年くらいで、もう、ほかの意味に取違えてしまう。それほど言葉は生きて動いている。
例えば、外国語の subject なる言葉を、人々は「主観」と訳していた。ところが昭和七、八年頃から、それは「主体」と訳されはじめたのである。もはや主観ではもり切れないものが、subject なる言葉の周辺にまつわりつきはじめたのである。ことに世代が違うと、何の迷いもなしに新しく読み違えて出発する。
かくして、新たな言葉が、更にこの言葉の周辺に生れて来る。例えば、「あの人は誰々の線だ」等と云う言葉が最近流行する。おそらく誰々の属しているフロント、その戦線の一列の人々の意味であろうが、すでにそこでは、その人を昔のような一つの「主観」と取扱っていないで、「主体」とでも云う新たなるものの周辺で取扱われているのである。
こんな言葉の読み違えられる、断層のようなもののある時代、この雰囲気から「段階」なる言葉、「角度」などの言葉が新しく用いられ、やがて「原子力時代」「機械時代」の「エージ」の意味も又意味をもって来るかのようである。
私はこの不思議なとも思える現象を追求して見たくなって、subject なる言葉と、「気」なる言葉の変化の跡を辿って見たことがある。
Subject
subject, Subjekt, sujet なる言葉は、明治以来「主観」と訳されていたが、この言葉を辿って見ると、この言葉の原語自身が、とんでもなく、すでに読み違えられて来ているらしいのである。