素面の管
本文約4,100字 ・ 読了時間 約9分
あらすじ(AIが作成しました)
文学者や批評家が作家の職分を過剰に意識し、作品を人生の教訓や偉大さの尺度で評価する当時の文壇の風潮を論じる。著者は文学が本来、深刻な人生論から離れ、純粋に表現の面白さを味わうべき娯楽であると主張する。また、作中の人物を実在の人間のように道徳的観点から批判する批評の姿勢を滑稽であると指摘し、芸術家としての客観的な興味を持って文学に向き合うべきだと説く。
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文学を愉しむ文学者の少いことは一体わが国の誇りですか。
あれではいけない、これではいけない――まあ、なんといふ気むづかしい連中の寄合だらう。
それもいゝさ。批評家などゝいふものは、わかつてもわからなくても、顔をしかめてさへゐれば、何か意見がありさうに見えるんだから。しかし、自分で小説なり戯曲なりを書いてゐながら、人の書いたものと云へば頭ごなしにこき下し、たまに褒めたかと思へば、きつと説教めいた文句で、将来の心得まで附け加へなければ承知しない。そんな仲間が、どこへ行つたつてあるもんかい。
殊に片腹痛く思ふのは、世界歴史さへ碌に知らずに、時代がどうの、社会がどうのと、文学そつち退けの思想家気取り、そんな批評家もたまに出て来るのは愛嬌だが、猫も杓子も、文学史論はちと聴きづらい。
凡そ当今の文壇に、奇々怪々な迷信が一つある。曰く「作家の職分」に対する迷信。
詳しく述べるまでもない。文学者殊に作家は、人間のうちで、一番「えらい人間」だと思つてゐることである。さう思はなければ承知ができないことである。
教へて呉れとも云はないのに、「人間の生き方」などを鹿爪らしく説いて見たり、知りたくもない自分の生活を深刻らしく吹聴したり、従つて、或作品を読んで、さういふものが見つからないと、この作者は「人間が如何に生くべきか」を考へてゐないと云ひ、此の作者は、「一生懸命に生きようとしてゐない」と云ふのである。
いづくんぞ知らん、文学を愉しむ読者は、作品を透して、作者の考へを、生活を、一生懸命さを知らうとはしないのである。たゞ、その考へが――誰でも考へるほどの考へが――どう考へられ、どう現され、その生活を――誰でもしさうな生活を――どう生活し、どう描き、その一生懸命さが――一生懸命になるほどのことでもないと思ひながら――どういふ風に一生懸命になり、それがどう面白く書かれてゐるかを味はへばいゝのである。