天童
本文約2,000字 ・ 読了時間 約5分
あらすじ(AIが作成しました)
はげしい雨風の夜、山小屋で独り暮らす六十を超えた爺は、灯火の揺らぎの中、韋駄天や観音さまの姿を心に思い浮かべる。かつて交流した草苅の少年を流行病で失って以来、独り身の爺は亡き友が天童となることを願い、観音への信仰を深めていた。本作は、山の中で孤独に過ごす老人の夜の幻影と、亡き友を慕う静かな祈りの心象風景を描く。
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はげしい雨風の夜であります。山小屋の爺は、早く雨戸を立てゝ藁布団の中へもぐりこみました。枕もとには、うす暗い置ランプがともつてゐます。時をり戸のすき間から風が吹きこんで来て、ランプの灯はゆら/\と動きます。爺は寝床の中から細い象のやうな目つきで、危なく消えようとするあかりを眺めてゐました。
「もう消えてもいゝよ。」
と爺はつぶやきました。けれど、あかりは消えさうに見えてなか/\消えません。
ザワ/\ザワ/\と、山の木立は波が立ちさわぐやうな音をつゞけてゐます。風が強くなつて来ると、その音がゴオーと一色に集つて、滝でも落ちて来るやうに聞えます。このはげしい雨風の夜に、人里はなれた山の中に、たゞ一人きりでゐる爺の姿は、丁度風にゆらめくランプの灯のやうにたよりなく見えました。しかし爺の心は、外の物音とは打つて変つて静かにおちついてゐました。もう四十年あまり住みなれたこの山小屋は、爺にとつては、世界のどんな立派な御殿にも勝つて貴い新しいものでありました。
けれども爺は、今夜はなか/\眠れませんでした。目をとぢて雨風の音に聞き入つてゐますと、ゴオーと吹きよせる音は、火吹だるまが怒り出したやうにも聞えますし、また韋駄天が走つて来るやうにも思はれます。と忽ち、爺の目には韋駄天の姿があり/\と見えて来るのでした。韋駄天は毬栗頭で赤金色の顔で、目は恐ろしく吊りあがつて、手にはピカ/\光る剣を持つてゐました。しかしこれは人を殺めるものではなく、仏さまの守護神であることを爺は知つてゐますので、ちつとも恐いとは思ひませんでした。韋駄天は天のはてからどし/\駈けてきて、爺の目のまへにぴつたり立ちふさがりました。爺はとぢてゐた目を一寸ばかり開いて見ました。と、韋駄天の姿は消えてしまつて、枕もとの置ランプが相変らずゆらゆらとしてゐるのでした。爺の頬にはやさしい笑みが浮びました。そしてまた両の目をしづかにつぶりました。