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TORENDIA

自伝

本文約1,200字 ・ 読了時間 約3分

あらすじ(AIが作成しました)

明治三十一年香川県で生まれた著者が、半農半漁の家庭環境で育った少年時代を綴る。鰯網の手伝いや醤油屋での労働に従事し、やがて上京して会社勤務や雑誌編集を経験する。大正八年の徴兵とシベリア出兵を経て帰国後、病気療養期間を挟み、文芸戦線同人として執筆活動を始めるまでの半生を収める。

黒島傳治

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🎧 自伝 / 朗読音声: VOICEVOX:もち子さん

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明治三十一年十二月十二日、香川県小豆郡苗羽村に生れた。父を兼吉、母をキクという。今なお健在している。家は、半農半漁で生活をたてゝいた。祖父は、江戸通いの船乗りであった。幼時、主として祖母に育てられた。祖母に方々へつれて行って貰った。晩にねる時には、いつも祖母の「昔話」「おとぎばなし」をきゝながら、いつのまにかねむってしまった。生れた時は、もう祖父はなかったが、祖母は、祖父の話をよくした。「おとぎばなし」は、えゝかげんに作ったものばかりだったらしい。三ツ四ツそれをまだ覚えている。

八歳か九歳の時から鰯網の手伝いに行った。それを僕等の方では「沖へ行く」と云う。子供が学校が引けると小舟に乗りこんでやって行って、「マイラセ」という小籠に一っぱいか半ばい位いの鰯を貰って来るのだ。網元を「ムラギミ」と云って、そこの親爺の、嘉平と利吉という二人が、ガミ/\子供を叱りつけた。僕等は、子供の時から、その嘉平と利吉に、「クソノカス」にどなられて育った。後年、網元の嘉平と利吉は、落ちぶれて死んじゃったが、その時は気持がよくって胸がすっとした。

鰯網が出ない時には、牛飼いをやった。又牛の草を苅りに出た。が、なか/\草は苅らずに、遊んだり角力を取ったりした。コロ/\と遊ぶんが好きで、見つけられては母におこられた。祖母が代りに草苅りをしてくれたりした。

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