TRENDIA CLASSIC

有喜世新聞の話

岡本綺堂

1 / 21

S君は語る。

明治十五年――たしか五月ごろの事と記憶しているが、その当時発行の有喜世新聞にこういう雑報が掲載されていた。

京橋築地の土佐堀では小鯔が多く捕れるというので、ある大工が夜網に行くと、すばらしい大鯔が網にかかった。それを近所の料理屋の寿美屋の料理番が七十五銭で買い取って、あくる朝すぐに包丁を入れると、その鯔の腹のなかから手紙の状袋が出た。もちろん状袋は濡れていたが女文字で○之助様、ふでよりというだけは明らかに読まれた。

有喜世新聞社では一種の艶種と見過して、その以上に探訪の歩を進めなかったらしく、単にそれだけの事実を報道するにとどまっていた。鯉の腹から手紙のあらわれたことはシナの古い書物にも記されている。鯔の腹から状袋が出ても、さのみ不思議がるにも当らないかも知れない。殊にその当時七十五銭で買われるくらいの大鯔ならば、なにを呑んでいるか判ったものではない。記者もそのつもりで書き流し、読者もそのつもりで見過してしまったのであろうが、僕は偶然の機会からその状袋の秘密を知ることが出来たのである。

といっても、明治十五年――そのころは僕がようよう小学校へ通いはじめた時分であるから、その時すぐに判ったのではない。後日に偶然聞き出したのであることを、まず最初に断っておく。僕の叔父の知人に溝口杞玄という医師がある。その医師がこの新聞をみると、すぐに京橋の警察署へ出頭して、秘密に某事件の捜査を依頼したのであった。

岡本綺堂の他の作品