柳原※[#「火+華」、第3水準1-87-62]子(白蓮)
本文約12,700字 ・ 読了時間 約26分
あらすじ(AIが作成しました)
柳原白蓮は、伯爵家の令嬢として生まれながらも、炭鉱王との因襲的な結婚生活で苦悩する。その後、世間を騒がせた失踪事件を経て、真の愛と理解を求め、自らの意志で新たな生き方を選び取る。本作は、爵位も財産も捨て、文学の才を頼りに激動の時代を自立して生き抜く一人の女性の姿を綴る。
リクエストが集まると、作家に音声化の需要が伝わります。
💰 この本を応援する(投げ銭)
一
ものの真相はなかなか小さな虫の生活でさえ究められるものではない。人間と人間との交渉など、どうして満足にそのすべてを見尽せよう。到底及びもつかないことだ。
微妙な心の動きは、わが心の姿さえ、動揺のしやすくて、信実は書きにくいのに、今日の問題の女史をどうして書けよう。ほんの、わたしが知っている彼女の一小部分を――それとて、日常傍らにある人の、片っぽの目が一分間見ていたよりも、知らなすぎるくらいなもので、毎朝彼女の目覚る軒端にとまる小雀のほうが、よっぽど起居を知っているともいえる。ただ、わたしの強味は、おなじ時代に、おなじ空気を呼吸しているということだけだ。
火の国筑紫の女王白蓮と、誇らかな名をよばれ、いまは、府下中野の町の、細い小路のかたわらに、低い垣根と、粗雑な建具とをもった小屋に暮している子さんの室は、日差しは晴やかな家だが、垣の菊は霜にいたんで。古くなったタオルの手拭が、日当りの縁に幾本か干してあるのが、妙にこの女人にそぐわない感じだ。
面やせがして、一層美をそえた大きい眼、すんなりとした鼻、小さい口、鏝をあてた頭髪の毛が、やや細ったのもいたいたしい。金紗お召の一つ綿入れに、長じゅばんの袖は紫友禅のモスリン。五つ衣を剥ぎ、金冠をもぎとった、爵位も金権も何もない裸体になっても、離れぬ美と才と、彼女の持つものだけをもって、粛然としている。黒い一閑張の机の上には、新らしい聖書が置かれてある。仏の道に行き、哲学を求め、いままた聖書に探ねるものはなにか――やがて妙諦を得て、一切を公平に、偽りなく自叙伝に書かれたら、こんなものは入らなくなる小記だ。