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TORENDIA

土足のままの文学

本文約1,200字 ・ 読了時間 約3分

あらすじ(AIが作成しました)

第一次大戦後の独逸を描いたファビアンやユリシーズを読み、著者は日本の文学が抱える停滞を指摘する。文壇の既存の評価軸に従うのではなく、生活の現実へ土足のまま踏み込むような新しい文学の必要性を訴える。俳句的写実や短歌的抒情という既成の様式から脱却し、泥だらけの靴のままで書き連ねるような斬新なスタイルを目指すと宣言し、人間本来の姿を文学へ呼び戻すための独自の文学論を綴る。

織田作之助

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🎧 土足のままの文学 / 朗読音声: VOICEVOX:青山龍星

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僕は終戦後間もなくケストネルの「ファビアン」という小説を読んだ。「ファビアン」は第一次大戦後の混乱と頽廃と無気力と不安の中に蠢いている独逸の一青年を横紙破りの新しいスタイルで描いたもので、戦後の日本の文学の一つの行き方を、僕はこの小説に見たと思った。終戦後大作家まで自分の作品を棚に上げたもっともらしい文学論を書いているが、凡百のそれらの文学論よりは「ファビアン」一冊の方が、どれだけ今後の文学の行き方を示しているか判らないくらいだ。

「ファビアン」を読んで、次にジョイスの「ユリシーズ」を読み、僕は更に新しい文学の行き方が判り、僕らの野心とは僕らの「ファビアン」を作ることであり僕らの「ユリシーズ」を作ることにあると納得した。

日本の習慣では、土足のままで家の中へはいらない。だから、文学も土足のまま人生の中へ踏み込んで行くような作品がない。きちんと下駄をぬぎ、文壇進歩党の代弁者である批評家から、下足札を貰って上るような作品しかない。「ファビアン」や「ユリシーズ」は土足のままの文学だ。僕は土足のままとまで行かなくても、せめて下足番から下駄を……と言われた時、いや僕ははじめからはだしでして……と言えるような作品を書きたいと思う。

僕はこれからはもう天邪鬼になって、新人がどれだけ巧い作品を書いても、感心しないことにする。泥だらけの靴やちびった下駄のままで書きまくった小説でなければもう感心しない。きちんと履物をそろえて書斎の中に端坐し、さて机の上の塵を払ってから、書き出したような作品に、もはや何の魅力があろう。

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