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TORENDIA

雪

本文約1,500字 ・ 読了時間 約3分

あらすじ(AIが作成しました)

留置場の窓から舞い落ちる雪を眺める筆者は、一片の結晶に宿る精密な秩序に圧倒される。戦時下において理不尽な暴力を受ける中、筆者は自然界の厳格な理と人間の愚劣さを対比させ、深い憤りを感じる。本書は、過酷な拘束生活の中で雪の結晶から絶対的な秩序を見出し、人間社会の矛盾や自己の内面、そして執行猶予の身となってからもなお心に残り続ける雪の美しさについて綴る随筆である。

中井正一

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🎧 雪 / 朗読音声: VOICEVOX:雨晴はう

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朝から、空は暗く、チラチラ窓のふちから、雪が散りこぼれて來た。

もうすでに六十日、これから何百日ゐるかわからない留置場で、私は、この雪をめづらしい外からまぎれ込んだ、自由の世界から入つて來てくれたものゝ樣な感じで今更のやうにみつめたのであつた。

一つ一つ、きれいな結晶をしてゐた。纖細をきはめたかぼそい線ではあつたが、一つ一つが數へられる美しさでからみ合つた、精密をきはめた機構をもつてゐた。

次から次にこぼれ落ちる雪の、どの一片一片もが、一つ一つ宮殿の一部だと云つていゝほどの複雜な構成をもつてゐた。

私はもう一度、暗い空を見上げた。

暗い暗い空は、一杯の雪をはこんで、重い移動の樣に、壓するものをもつてゐた。

私は、あの一つ一つが、この精密な結晶をもつて、あの大空の奧から湧いて來るのだと思ふとき何か愕然たる驚きに搏たれた。

二万尺の大空の高さで、一厘の狂ひもない正確さで結晶したこの水滴の一つ一つが、こんなに澤山、こんなに空に滿ち滿ちて落ちて來てゐることが、恐ろしいほど不思議なことの樣に思へて來た。

この存在の中にある、深い秩序を、この覆ひかぶさつて來る暗い白いものゝ移動がかくしもつてゐる。

私は、このみちみちた精密をきはめた秩序に、みるみるうちに壓倒せられる思ひであつた。

この六十日、合理、理論の合理にのみ身をよせて、抗辯したにもかゝはらず、戰爭に反對したことより以外に何の證據もないのに、打たれたり蹴られたりしてゐる自分にとつて、この雪の中に、又大空にみちみちてゐるこの秩序は、泌透る樣にこゝろを刺貫くものをもつてゐた。

南京が陷ちたと云つて昨夜は外は騷しかつた。しかし支那事變は長期となり、やがて世界戰となり或は毒ガス細菌戰に轉移するから、絶對に反對すると云ひつゞけた自分としては、何れ何處かで、自分の死にまで連續してゐるこの度の戰に、せめて反對したことだけを滿ちたりる事としてゐたのであつた。

しかし、この雪を見てゐるうちに、私は深い憤りに身をふるはす思ひであつた。この充ち充ちてゐる秩序の中で、人間のこの秩序だけは、この一片の雪にだに、面と面をむけ得るものではないのだ。

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