高原の太陽
本文約8,500字 ・ 読了時間 約18分
あらすじ(AIが作成しました)
根津の邸宅の離れに身を寄せる眼病を患う娘は、兄の知人である美術学校生と交流を重ねる。青年は都会の生活で虚無感を抱えていたが、娘との対話や八重山吹の写生を通じて精神的に変化し、絵画制作に没頭していく。後に青年は高原へ赴き、完成させた出品作『高原の太陽』を携えて娘の前に姿を現す。本作は、内気な娘と芸術家である青年の出会いと、互いの内面に及ぼした精神的な変容を描く。
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「素焼の壺と素焼の壺とただ並んでるようなあっさりして嫌味のない男女の交際というものはないでしょうか」と青年は云った。
本郷帝国大学の裏門を出て根津権現の境内まで、いくつも曲りながら傾斜になって降りる邸町の段階の途中にある或る邸宅の離れ屋である。障子を開けひろげた座敷から木の茂みや花の梢を越して、町の灯あかりが薄い生臙脂いろに晩春の闇の空をほのかに染め上げ、その紗のような灯あかりに透けて、上野の丘の影が眠る鯨のように横わる。鯨の頭のところに精養軒の食堂が舞台のように高く灯の雫を滴らしている。座敷のすぐ軒先の闇を何の花か糠のように塊り、折々散るときだけ粉雪のように微に光って落ちる。
かの女は小さく繃帯をしている片方の眼を庇って、部屋の瓦斯の灯にも青年の方にも、斜に俯向き加減に首を傾げたが、開いた方の眼では悪びれず、まともに青年の方を瞠めた。
「それではなにも、男女でなくてもいいのじゃございません? 友人なり師弟なり、感情の素朴な性質の者同志なら」こうは答えたもののかの女は、青年の持ち出したこの問題にこの上深く会話を進み入らせる興味はなかった。ただこんなことを云っているうちに、この青年の性格なり気持ちがだんだん判明して来るだろうことに望をかけていた。「こんなことを女性に向って云い出す青年は、どういうものか」すると青年は、内懐にしていた片手を襟から出し片頬に当てていかにも屈托らしく云った。かの女のあまり好かないこんな自堕落らしい様子をしても、この青年は下品にも廃頽的にも見えない。この青年の美貌と、蘂に透った寂寞感が、むしろ上品に青年の態度や雰囲気をひきしめているのかも知れない。
「やっぱり異性同志に、そういった種類の交際を望むのです。少くとも僕は」
それからしばらくして
「でないと僕は寂しいんです」
唐突でまるで独言のような沈鬱な言葉の調子だ。かの女はこの青年がいよいよ不思議に思えた。
かの女は居坐りを直し、寒くもないのに袖を膝に重ねて青年の性の知れない寂寞が身に及ばないような防ぎを心に用意した。