棲霞軒雑記
本文約7,000字 ・ 読了時間 約14分
あらすじ(AIが作成しました)
松園という雅号の由来やアトリエ「棲霞軒」での制作活動、冷水摩擦による健康管理など、日々の芸術三昧な暮らしを綴る。また、かつて京都の葉茶屋が担った交流の役割や商人の良心、幼少期の記憶、そして精巧な米粒細工を見せに来た男との逸話を通して、日々の生活における失敗を成功へ繋げる工夫や、人をもてなす心の大切さについて思索を巡らせる。画家としての精進や、日々の些細な出来事から得た気づきを率直に描き出す随筆。
リクエストが集まると、作家に音声化の需要が伝わります。
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松園という雅号は鈴木松年先生が、先生の松の一字をとって下さったのと、絵を学びはじめたころ、私の店で宇治の茶商と取引きがあり、そこに銘茶のとれる茶園があったのとで、それにチナんで園をとり、「松園」とつけたものである。たしか私の第一回出品作「四季美人図」を出すとき松年先生が、
「ひとつ雅号をつけなくては」
と、仰言って考えて下さったもので、
「松園こりゃええ、女らしい号だ」
と、自分の号のように悦んで下さったものである。最初は園の字は四角にかいていたが中年頃から園の中の字は外へはみ出るように書くことにした。松の園生のように栄えるようにと悦んで下さった母の顔を今でも憶い出す。
このアトリエの一屋を棲霞軒と称ぶ。私はあまり人様と交際もしないで画室に籠城したきり絵三昧に耽っているので、師の竹内栖鳳先生が、
「まるで仙人の生活だな。仙人は霞を食い霞を衣として生きているから、棲霞軒としたらどうか」
そういう訳で栖鳳先生が命名された屋号である。これは支那風の人物とか、大作の支那風画を描き年号を入れたり改まった時に使っている。
爾来私は五十年この棲霞軒で芸術三昧に耽っている次第であるが、松園の名づけ親も棲霞軒の名づけ親もともに今はこの世にはいられない。
私はとき折りこの画室で松の園生の栄える夢をみたり霞の衣につつまれて深山幽谷に遊んでいる自分を夢みたりする。
私は毎朝冷水摩擦をかかさず行なっているが、これはラジオ体操以上に体に効くようである。もう四十年もつづいている。私はこの世を去るまでこの冷水摩擦はつづけるつもりでいる。おかげで風邪の神はご機嫌を悪くして、この棲霞軒へは足を向けようとしない。
朝鮮人参のエキスも少量ずつ、摩擦とともに数十年続けている。
健康を築きあげるにも、このようにして数十年かかるのである。
まして芸術の世界は不休々々死ぬまで精進しつづけてもまだ、とどかぬ遙かなものである。
画室に在るということは一日中で一番たのしい心から嬉しい時間である。