古い記憶を辿って
本文約1,400字 ・ 読了時間 約3分
あらすじ(AIが作成しました)
明治から昭和にかけて活躍した画家・竹内栖鳳や山元春挙らとの交流、および当時の展覧会風景や絵画の変遷を綴る。若き日の作品が展覧会で注目を集めた記憶や、展覧会に出品された多様な作品のあり方を振り返る。また、電車で偶然居合わせた際の春挙との対話や、その人柄を回顧する。当時の画壇の現状に対する危機感や伝統的技法への思い、そして過去の展覧会での出来事を交えながら、自身の画業の初期から晩年に至るまでの思い出を辿る随筆である。
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その頃の絵は今日のように濃彩のものがなくて、いずれもうすいものでした。ちょうど春挙さんの海浜に童子のいる絵の出た頃です。そのころは、それで普通のようにおもっていたのでした。今日のは、何だか、そのころからみるとずっと絵がごつくなっているとおもいます。
〈法塵一掃〉は墨絵で、坊さんの顔などは、うすい代赭で描かれていました。尤も顔の仕上げばかりではなしに、一体にうすい絵でした。この作品が出品された年は、ちょうど栖鳳先生が、西洋から帰られた年でして、獅子の図が出品されました。その時分に屏風などが出ていましたが、しかしまたとても今日の展覧会などに出品されそうもないような小さな作品も出ていました。寸法に標準というものがまるでなかったのでした。
私が二十五、六か七、八歳頃、森寛斎翁はなくなられましたが、その頃の春挙さんには、私もよくおめにかかっていました。塾がちがったものですから、これと言って、まとまったお話もうかがった事もありませんでしたし、ゆっくりおめにかかるというような機会もありませんでしたが、その頃、お若い内から春挙さんは、すっくりした、いかにも書生肌の大変話ずきの人でした。毒のない安心して物の言えるいい人であったという事は、私にも言えます。
私の若い時分は、今のように、文展とか、帝展とかといった、ああいう公開の展覧会というものが、そんなに沢山ありませんでしたので、文展時代の作品については、はっきりとした記憶がまだ残っています。春挙さんの〈塩原の奥〉とか、〈雪中の松〉とかは、いまだにはっきりとした印象を残しています。
青年絵画共進会の、海辺に童子がはだかでいる絵は、その筆力なり、裸体の表現などが、当時の私共には、大変物珍しく、そして新しいもののように感ぜられたのでした。取材表現のみならず、色彩に於いても、新しい感覚に依っていたものでありました。