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TORENDIA

鏡二題

本文約2,200字 ・ 読了時間 約5分

あらすじ(AIが作成しました)

鏡を通した自己との対峙と、成長過程で変容する鏡との関わりを綴る。子供の頃、銅の鏡や粗悪な西洋鏡に抱いた不気味さや嫌悪感、そして姿見を師として踊りに興じた日々を回想する。大人になってからは、現実を容赦なく映し出す鏡に己の欠点を見出して苦悩する側面と、化粧によって自らを欺き慰める側面の両方があることを吐露する。随筆の後半では、様々な器物に映る自己の姿を観察し、日常の鏡を己の心の正邪を正すための窓として捉える姿勢を示す。

長谷川時雨

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🎧 鏡二題 / 朗読音声: VOICEVOX:もち子さん

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暗い鏡

鏡といふものをちやんと見るやうになつたのは、十八――九の年頃だつたと思ひます。その前だとて見ましたが、鏡にうつる自分を――まだそのころだとて顏だけですが――見たといへませう。十七位の時分は寧ろ姿全體にうつるもの――姿見鏡でなくつても、硝子戸なんぞでも氣まりが惡かつたので見ないふりをして、その癖誰も見るものがないとしげしげと見詰めたものです。どうも體のどこもが丸くなるのが――尻などが極立つて格好が惡くなつて厭でした。

鏡といへば、子供のころ家に新舊二樣の鏡があつて、どれを見ても心を暗くしたのを覺えてゐます。八十八の祖母は舊式でしたから箪笥のある部屋へ障子屏風をたてめぐらしてその中に鏡臺が飾つてあつて、鏡は丸い鋼の鏡――夏になるとよく磨師に磨かせてゐましたが、とにかく黒ずんだ、沈んだ顏が鏡の底の底の方に生氣なくうつるのでした。おまけに部屋が藏づくりでしたから、それに窓の青葉などに白い花でもついてゐる時は、妙に氣遠いといふ心持ちがして、美しくいへば、流れに沈んだ晝の月を見るやうだとか、又は深い井戸の底にうつつた顏のやうだとか形容も出來ませうが、その場合は狐つきぢやないかと自分の顏を悲しい凄いやうに眺めて、嫌な氣持ちがしたものでした。どうもあの銅の鏡は髮の色でもなんでも生々としたところがうつらないで陰氣です。そのかはりにまた、そのころの西洋鏡――硝子のときたらば粗製品で、どれにうつして見ても顏が違つてゐるのです。顏が半分歪んでゐたり、しやくれて見えたり、滑稽な泣きつ面をしたり、ほんとに嫌になつてしまふのが多かつたので、そんなものは見たくないやうな氣がして――子供だからそれほど分明不快だとは思はなかつたかもしれないが、まあそんな覺えがあります。

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