TRENDIA CLASSIC

大正東京錦絵

正岡容

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「カチューシャ」前後

木下杢太郎氏が名詩集『食後の唄』の中の「薄荷酒」と云ふ詩の序の一節を、ちよつと読んで見て呉れないか。

「その頃聴いたのは松声会でなくて、哥沢温習会の方であつた。芝とし、芝みねなどと云ふ美声の老女もまだ微かに覚えてゐる。(中略)かかる会には美しい聴衆も多くて、飛白の羽織に小倉の袴を穿つた身の風情を恥かしいと思ふこころもあつた。やや年とつた男の人々のうちには、川柳の回覧雑誌のことを話しあうてゐるのもあつた。」(下略)ヽヽは勿論私が施したものであるが、この杢太郎氏の随筆は大正五年一月に執筆されたもので、尚この文章をおしまひまで読んでゆくと、同氏が哥沢温習会へゆき、「川柳の回覧雑誌のことを話しあうてゐる」を見たのは大正元年あたりのことらしい。

爾来数年、川柳はいよ/\市井文学として一杯に開花し、結実し、「回覧雑誌」は同人雑誌と、やがてある種のものは一般雑誌の一歩手前位まで発展していつたと見ていい。

いまその大正時代の川柳句集を翻いて見ると、流石にや活動写真の連続物、オペラ・カフエー・バー・労働問題等等、さうした大正ならではの風趣風景が、じつに続々と面白可笑しく擡頭して来る。

大正期の川柳殊に久良伎翁、剣花坊翁の作品は、大正期に入つて最頂点を劃してゐると云つてよく、就中伎翁には本格の時代味感溢るる佳吟が少くない。

桃山の方へ人魂二つ飛び久良伎  云ふ迄もなく大正改元、御大葬当夜、乃木将軍夫妻の殉死である。翁が、将軍夫妻殉死の報を耳にされるや、直ちに「人魂二つ」を聯想されたところに、いかにも江戸つ子詩人ならではの詩情がある。「人魂」と云ふもの、江戸浮世絵や草双紙の挿絵への教養深からざる限り、決して親近を感じるものではないからである。

カチューシャの合唱神楽坂を行く久良伎 人形の家で 媒人 度々弱り同  佐藤義亮氏の『新潮社四十年』を読むと、島村抱月が松井須磨子と芸術座を創立して、帝劇に初公演したのは大正三年だとある。そのときの費用千円は佐藤氏から提供され、戯曲「復活」は新潮社から出版された。

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