本文へ移動
TORENDIA

凡愚姐御考

本文約5,900字 ・ 読了時間 約12分

あらすじ(AIが作成しました)

義理人情や親分子分の関係を基盤とする江戸の侠客社会における「姐御」という存在の由来や変遷、その特異な性質を論じる。歌舞伎や講談に見られるような、縄張り争いや面目を重んじる閉鎖的な道徳観、およびそこから派生した女親分たちの虚飾や粗雑さを批判的に考察する。また、奴の小萬など実在の人物の事例を挙げつつ、本来は尊敬の念を込めた呼称が、時代とともにあばずれや下品な風俗を指すものへと変質していった過程を辿る。

長谷川時雨

速度
🎧 凡愚姐御考 / 朗読音声: VOICEVOX:雨晴はう

💰 この本を応援する(投げ銭)

1 / 9

義理人情の美風といふものも歌舞伎芝居の二番目ものなどで見る親分子分の關係などでは、歪んだ――撓めた窮屈なもので、無條件では好いものだといひかねる。立てなくつてもいい義理に、無理から無理を生ませてゐる。人情にしてもまことに低級卑俗だ。大局とか、大義とか、さういふものには眞つくらで、ただ、ただ親分のためとか、顏が立たぬとかでもちきつてゐる。しかも、その親分、いかさまでない實力と、金のはいるのは昔から曉天の星のやうで、花川戸の長兵衞をはじめさうした人たちは、人間としても一人物であり條理もわかりさうだが、そのほか、野晒悟助のやうに、大概なのは氣がよければ金に缺けてゐる。男伊達が起つてきてからの社會では金がなければ、中々道理もひつこむ世の中なのだから、勢ひ、講談などできいても惡い親分が多い。斬ツつ、張ツつも、正義や弱いものを助けるためのはすくなくて、繩張りの勢力爭ひで、弱者がほろびてゆく。

「文藝春秋」できかれた「姐御ぶり」といふものは、勢ひさうした見方からいつて、およそ、わたしのきらひなものだ。姐御とは、さうした輩の細君を敬稱したものかと思ふ。親分の顏のよしあしも、一つは、細君の子分操縱法――つまり臺所まかなひ、小遣ひ錢、仕着せの心附けなどの附け屆けの氣の利きかたで、だいぶ違ふのだらうと思ふ。で、以前役者の女房にそれ者が必要だつたごとく、姐御てあいもなかなか、粹もあまいも噛みわけた苦勞人でなければおさまらなかつただらうし、男まさりの氣強い女でなければ、無考へな、血の氣の多い、若い衆を操御し、ある折は親分とも夫婦喧嘩もしなければならなかつたであらうから、勢ひ、むかうつ氣の強い女でなければならない。鐵火にならざるを得ない。

長谷川時雨の他の作品

同じジャンルの朗読つきの本