桃
本文約1,100字 ・ 読了時間 約3分
あらすじ(AIが作成しました)
桃と女性の間に感じられる特殊な結びつきを軸に、自身の部屋にある西王母の軸や高村光太郎作の桃の置物から得た着想、桃が人間に近い美や精神性を持つ存在として感じられる理由を綴る。さらに展覧会で見たある一枚の桃の絵から受けた印象を紐解きつつ、古来伝承される桃の象徴的な意味や、桃から生まれた桃太郎に託した祝言を込めて、芸術と生活の中にある桃の存在を考察する随筆。
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桃。
わたしは、桃の實と女性とを、なにとなく特殊なむすびつきがある氣がして、心をひかれてゐる。それが、なんであるかを、まだはつきりしないのに、とにかく、その大切にしてあるものを、心に熟さないうちに、まだ青い實のうちに、ともかく「明日香」發行のお祝ひに捧げるやうになつた。
今、わたしの部屋に西王母の軸がかけてある。高村光太郎氏刀の桃の實の置物がある。わたしは、それらに示唆されて、桃、といふ題を書いてしまふやうになつたのかもしれない。三千年に一度、花咲き實るといふ仙郷の「桃」は、この場合、藝術の園に遊ぶ人の誰しもが掴まんとするのを、象徴してゐると見てもいい。
芙蓉齋素絢ゑがく西王母は、桃林を逍遙する仙女の風趣氣高く、嫋々としてゐる。その足許近くにある、高村さんの桃の實は、ある朝、庭の木にはじめて實つたのをとつて、感興の逸せぬうちにと刻まれた作品で、稍まだかたい實の青さに、赤みを交へ、もぎつた枝あとの、青い葉の影には、金色の小蜘蛛がかくれてゐる。わたしは愚かにも、その金色の小蜘蛛に化した大仙女西王母を夢見て、時刻を消しては、あわてたりしてゐる。
人は、あまり人を可愛がると、食べてしまひたいほどだといふが、わたしは、熟した桃を見ると、食べてしまふのがをしくなる。あの淡黄色に、ポツと赤味のさした、生毛のある、赤ン坊の頬のやうな薄皮から、甘露といふと古くさいが、金色のあぶらのやうな液體を、細かくふくんで吹いてゐる生々しさ――それは實に人間に近い美を持ち、人間的な感覺だともいへる。新鮮な肉の感じといふ方は、裂きたての西瓜に感じもするが、桃がわたしに感じさせるものは、もつと高貴的で、精神的で、デリケートな、ちよつと言ひ現はしにくいものだ。