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TORENDIA

裸女の画

本文約1,400字 ・ 読了時間 約3分

あらすじ(AIが作成しました)

シャガールの裸婦画を借り受け、床の間に飾った随筆。この絵を前に芸術的充足感を覚える一方、来客の多くが絵に無関心である様子に筆者は戸惑う。現実的な事象に眼を奪われ、絵画の本質的な美や躍動感を見逃す人々の心理を観察する。同性である女性が抱く身体への親密さと直感的な回避、そして美術や美に対する現代人の感性の鈍さや余裕のなさを鋭く分析し、芸術を直視することの意味を静かに綴る。

長谷川時雨

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🎧 裸女の画 / 朗読音声: VOICEVOX:雨晴はう

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シヤガールの裸の女の繪を床の間においた。こんないい繪をわたしが持つてゐるのではない。『近代美人傳』の口繪を拜借した某氏から、この繪も添へて貸してくださつたのを、丁寧に床の間においたのだつた。

送つて來てくれた人たちに、門口で挨拶して主人が歸つて來たのは、もう夜更けだつたが、室にはいるとすぐに、床の間の繪に目を走らせて、誰のです、と叫んだ。

ああ、シヤガールね、どうも並々の畫ぢやないと思つた。

と、さほど大きくもない額の前に跼んで眺め入つてゐる。

仕樣のないものだね、藝術といふものは――と呟いた。

それからの毎日、拜借してゐる期間だけでも、眺めてゐるわたしたちの藝術的良心は高められ、充ちたりてゐたが、暮から春へかけて、來客はかなり多いのだが、他のたれもがなんとも一言――といふよりは、よく見てくれるもののないのが、わたしの注意をひいた。若い男女の畫家もそのなかにはあつたが――

氣忙しいのだ――と、よい方に思ひやつても、机のりにちらばつてゐる寫眞などには眼がゆくが、床の間まではのびない。すぐ傍にある鏡餅は大きなものだ、尺だらうといつた人は二三人ある、それは新舊の女流作家だつたが、シヤガールまではとどかなかつた。

現實性のものへ――ごくよく解譯して、そんなふうに、現實性のものへ眼を奪はれるので、繪の方は見逃されたのだと思はうとしたが、シヤガールのこの裸繪の女は、なかなかもつて、躍動してゐるのだ、色こそ着いてゐないが、生ききつて、健やかなること六月の若木の樹體のなめらかさと強靱さが充ちきつてゐる。

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