民俗芸能の春
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あらすじ(AIが作成しました)
日本各地の農山海村に根付く伝統的な信仰や習俗は、古くからの生活規範として人々の心情を支えてきた。しかし、戦後の生活が荒廃する中で、根無し草のような都会の文化が地方にも浸透している。著者は、礼節と節度ある生活を取り戻すために、地域社会において民俗芸能が見直されるべきだと主張する。歴史に裏打ちされた素朴な芸能こそが、次代を担う青年たちに古典的な喜びを与え、豊かな精神性を再興させる力を持つことを論じている。
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日本青年館の長い履歴の間に、人は、その多くのよい成績をあげるであらう。だが若し、曾て数年間連続して春秋毎に催した郷土舞踊・民謡の会をあげることを忘れたら、私など、その人の採点法を大いに疑ふだらう。日本青年館本来の目的から派生した枝葉の事業ではあつたらうけれど、あの為事などは、かう言ふ団体でさうしさうで居て、かう言ふ団体が、さうしないで過すやうな種類のものであつた。日本の農山海村の持つてゐる古典的な生活文化を、一往吟味し直さうと言ふ気持ちから出て、結局日本人の芸能文化に通ずる、普遍的な要素を発見して驚くことが屡であつた。我々にさう言ふ心持ちの起る毎に、青年館の存在にどれほど意義を感じたか知れない。さうして其は却て、あり難迷惑に思つた人があつたとしたら、どうだらう。併し戦争前の世間には、さうした庶民生活に理会乏しい人たちが居た。それが民間事業などに関係して、こじれた固定した理論を以て、自分の識者らしさを誇示しようとした。さう言ふ考へ方からは、国の芸能文化などは、何の反省の資料にもならないのである。
今はかう言ふ世の中になつた。我々は出来るだけ早く、和やかで礼譲深い、而も節度ある生活をとり戻さなければならない。宗教はかう言ふ時の為に用意せられた救ひである。だが日本の国の様に、前からある宗教に権威は感ぜず、新しく興り来る信仰は無難に育てあげて行かない国、かう言ふ状態で完備した宗教生活など、急に求めて得ることは出来ない。我々が宗教に期待する所は単に其だけでは勿論ないのだが、かう言ふ際、一等宗教からとり入れることの出来る救ひは、その与へる和やかで、礼譲があり、節度を欠かぬ、生活の基になる力である。今のところ急に新しい宗教から、其を受容することが出来ぬとすれば、せめて古い宗教からでも、或は、宗教系統のものからでも、さうした生活を導いて来る外はなからう。