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TORENDIA

古語復活論

本文約2,700字 ・ 読了時間 約6分

あらすじ(AIが作成しました)

記紀や万葉の古語・死語を復活させようとする試みを、単なる古物趣味や憬古癖であると批判する世間の声に対し、本稿は言語の本質的な役割と必要性からその正当性を論じる。現代語の表現能力が我々の思想や感情をすべて網羅しているとは限らず、精神の生命を宿す器として、古人が緻密に用いた語彙を現代の表現形式の中に適切に取り入れる重要性を説く。古語の蘇生は単なる懐古ではなく、より豊かな自己表現を求める必然的な創作活動であると提唱する。

折口信夫

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記紀の死語・万葉の古語を復活させて、其に新なる生命を託しようとする、我々の努力を目して、骨董趣味・憬古癖とよりほかに考へることの出来ない人が、まだ/\随分とあるやうである。最近には、御歌所派の頭目井上通泰氏が、われ/\一派に向うて、暗に攻撃的の態度を示してゐる。これは偶、安易な表現・不透明な観照・散文的な生活に満足してゐる、桂園派の欠陥を曝け出してゐるので、歴史的に存在の価値を失うてゐる人々の、無理会な放言に対して、今更らしく弁難の労をとらうとは思はぬ。唯尠くとも、新芸術を解してゐると思はれる人々の、懐いてゐる惑ひを、開いて置かうと思ふのだ。

軽はづみで、おろそかであることを意味する常識一片の考へから見れば、古語・死語の意義を、字面通りにしか考へることの出来ないのも、無理ではない。而もさうした常識者流の多いのには、実際驚く。殊にひどいのは、自身所謂古語・死語を使ひ乍ら、われ/\一派の用語や、表現法を攻撃する無反省な輩である。

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